雑記7

西洋文明について少し書いたので、日本について少し書いてみたいと思います。

 

日本は良く村社会である。と言われます。

先日田植えの時期に田んぼを見て思いましたが、

「お隣さんが田植えを始めたからうちもそろそろかねぇ。」

という会話を想像してしまいました。

 

あまりにも田んぼが密集しており、隣近所の田んぼがすぐとなりです。

こんな環境だったから、村社会が出来上がったのではないか?と思っていたら、

それを表現する言葉を偶然見つけました。隣百姓、と言うそうです。

 

以前中国に行ったときに空から日本と中国を見る機会があったのですが、

日本の田んぼは空から見ても、隙間なく作られています。斜面も棚田にして活用しています。

ちょっとしたスペースを見つけると、家があったり、駐車場があったりと、何かがあります。

 

それに対して中国では、隣の田んぼが離れています。

日本のそれは、テトリスのように綺麗に詰まっていますが、中国では大体、という感じが伝わってきました。

大陸気質というものでしょうか?

 

そんな日本も近年は近所づきあい、人付き合いが減り、村社会的なものが消滅したかのように見えます。

しかし、どうやら根深く残っているようです。

 

自分は印刷、ゲーム業界と渡り歩いてきましたが、そういった業界は特に残業が多いです。

早く変えると白い目で見られます。残業していると頑張っている人、という感じになります。

西洋では残業するのは仕事ができない人、と見られるそうです。それも近年変わりつつある、という話も聞きますが。

西洋では有給取得率が100%なのに対して、日本では50%を切っています。

ゲームや映像業界ではさらに低いかと思います。

 

これが村社会です。

養老さんは日本には無思想という思想がある。といったことを書いたように思いますが、

思想という言葉は日本においては、世間と訳すと西洋で言う思想に相当する。とも書いておりました。

これには説明を要します。

 

日本の文化は型により作られたもので、言葉ではなく体で作られたものだ、と書いておりました。

偶然なのかわかりませんが、先日テレビを見ていると、日本語の先生が全く同じことを言っておりました。

師匠からなんどもダメ出しをもらい、やっているうちに、よし、と言われるようになる。

意識で知覚するものではなく、感覚(体)で感じるものだ、ということです。

 

それが積み重なって、道になる。と言うことです。

 

そうやって育まれた日本の文化を明治になり自らの手で壊してゆきました。

元々無いんだから何を恐れることがある。と書いていたような記憶がありますが、定かではありません。

 

明治になり、日本は外国に真似て憲法を定めます。

そもそも憲法というものは西洋が散々苦労して生み出したもので、民衆が権力者、統治者に対して

守らせる約束事、として作られました。

日本ではお上が下々にお達しするだけで、一方通行の政治を続けてきました。

いざ作ってみても、どうもしっくりこなかったようで、教育勅語、軍人勅諭などを作り、天皇から下々にお達しする形を守りました。

 

江戸時代、武家階級以外の人たち(人口の9割くらい)、は政治に関して殆ど興味はなかったようです。

幕末に長崎に訪れた外国人が、日本の商人に質問したそうです。

今後、この国は内乱になるが、お前はどうする。と、すると聞かれた商人は、お武家様のなさることなので、手前どもには関係ございません。

と、答えその外国人を驚かせたそうです。

日本は今も昔も変わらないようです。

 

明治期になり型を踏襲するのは主に軍人の専売特許となりました。

その挙句に戦争へと踏み込みます。

どうやらこの型というものは江戸時代になり大きく形成されたようで、それ以前は少数派だったようです。

現在では体育会系、でしょうか?

 

型を失った明治期の日本は左傾化しはじめました。

どうも勧善懲悪と言った感じが強いように思えます。

そして、その中心取ったのが東大です。

東大の始まりは徳川幕府が、幕末に西洋の知識をより広く取り入れよう、と慌てて作った蕃書取調所というものです。

 

明治になり、国に仕える官僚を育てる機関として振る舞うと同時に、当時の最先端の思想を取り入れることで

必然的に左傾化していったようです。

大正デモクラシー当時は、天皇機関説というものは知識人の常識だったようですが、

その後反政府的な思想の弾圧により、次第に右傾化してゆき、天皇を鉄道の機関と一緒とは何事か。ということになっていったそうです。

天皇機関説とは、会社に例えると天皇は社長だ。と言っている。と解説した知識人もいるそうですが、

その人も天皇を人間と同じに扱うとは何事か。とも言っていたそうです。

 

ちなみに左傾化とは、格差を無くし皆でそこそこ働いて、そこそこの生活をしようじゃないか。

乱暴に言ってしまうとそういう事だと思います。

どうやら歴史を見てゆくとそういったユートピア思想は破綻するようです。

去年辺りは日本でもその流れがあったように思いますが、どうやら最近のテレビ等を見ていると若干右傾化しているようにも見えます。

右傾化とは、今こそ国が危ない、外国を押しのけてでも自国を守らなければ、ということかと思います。

かなり個人的な見解が入っておりますので、詳しく知りたい方は調べてください。

 

ちょっと話が飛びました。

戦後になり、日本の官僚は大活躍をしたようです。80年代のことです。

外国から日本株式会社と揶揄されるようになりました。

少し前に話題に上がった、護送船団方式というやつです。

これを初めて聞いたとき、ヴェネツィアの事かと思いました。

ヴェネツィアはイタリア半島、アドリア海側にある水に浮かぶ都市として有名なところです。

 

ローマ帝国が滅んだ後、一部のローマ人が作りました。

度重なるゲルマン民族の襲撃から逃れるために、ラグーナ(潟)に都市を作りました。

初めは貿易により反映した都市国家で、税金で集めたお金で軍艦をそろえ、それを定期就航させました。

その軍艦に守られるように個人の船舶が引っ付き、商売をしていたそうです。

船を操れる人は船を操り、お金を持っている人はそれにお金を投資する。というバランスの取れた制度だったようです。

 

いくら制度が優れていても、時代は流れます。

日本が滅び行くのか知りませんが、歴史上では衰退期の国が保護政策をとると、その衰退を早めるだけだ。

という定理があるそうです。

ヴェネツィアも大航海時代の幕開け時に新興のポルトガルやスペインに寄港を許さず、商機を逸したようです。

しかし、ヴェネツィアは千年続きました。江戸時代は250年くらいで、現在は戦後65年です。

人と同じで国にも寿命があるといいますが、その寿命は人間の進歩と同じ指数関数的に少なくなるのでしょうか?

ロジスティック曲線、というものを知りました。検索すればすぐに出てきます。

どうも自然の法則、経済の法則などではよく使われるもののようです。こっちの方が納得します。

 

なんだか随分関係ない話になりました。

CGのブログで書く事ではないですね。今さらですが。

Sculptris – 12

image648limage649l

女性を作っています。

実際のものを作るのはやはり難しいです。

それらしいものであれば、もっと早くできるとおもうのですが、、

2時間くらいかかりました。

まだまだ精進が足りません。

 

ZBrush4は値上がりするそうで、機能の紹介が徐々にアップされてきています。

うーん、今のうちに買ったほうが良いのか?

でもあの操作系はどうしても馴染めないし、納得ができないなぁ。

と、踏ん切れずにいます。

いくらくらい値上げするのでしょうか?

2012年9月9日に値段が決定するそうです。

それまで様子を見ます。

Sculptris – 11

image647limage646l

カメラのジンバルロックを回避する方法がありました。

オプションの、「Free camera」にチェックを入れるとなくなります。

注視点の操作が少し難しいのは変わりませんが、これでだいぶ楽にモデリングができます。

小さな事ですが、すばらしいです。

 

どうも、こういったモデリングは絵を学んでいたときの事を思い出させます。

当時の自分が、もうちょっとこうなんだけどなぁ、と思っていた事と同じことを思ってしまっています。

言葉で説明するのは難しいのですが、形の小気味良さ、とでも言うべきでしょうか。

ラフの段階であったものが、最終段階に近づくに連れて無くなってゆくものです。

 

自分の技術が稚拙なので、そうなってしまうのも分かるのですが、

できないものは仕方がない。

そのうち出来るようになれば良いなぁ、と続けてゆくしかないですね。

 

飽きたので、次を作ろうかと思います。

雑記6

Sculptrisの開発者がPixologicの社員になったそうです。

個人的には余り良いニュースに思えませんが、よくなってくれるよう祈るしかありません。

ZBrushは随分とバージョンアップ料金を取っていませんが、お金の出処が気になります。

どんな裏があるのでしょうか?

 

それはさておき、

以前書いた西洋文明的、近代的、というものを書いてみたいと思います。

 

最も近いところで、顕著にそれが現れたのは、物理学においてだと思います。

物理学では1920年を堺に現代物理学と古典物理学とを区別するそうです。

 

アインシュタインが等速運動時における相対論である、特殊相対性理論を発表したのが1905年で、

加速度も含め、それを普遍的なものにした一般相対性理論を発表したのが1916年です。

では、相対性理論は古典なのか、と言うところでは、微妙なようです。

 

それ以前の物理学である、ニュートン力学は絶対的なものを想定して作られました。

なので、0を入力すると無限大になる問題が存在しました。

自然科学というもの自体がキリスト教に対してのアンチテーゼの意味を持ち、それからの脱却を目指したものでしたが、

どうも、前に書いたとおりに、向き合うものも反抗するものも、それに囚われる。

とでも言いましょうか、神という絶対点を無意識のうちに仮定しているように思えます。

 

アインシュタインは無神論者として有名ですが、彼はその後生まれた量子力学に対して、

「神はサイコロを振らない」と言ったそうです。

それというのも、量子力学では点がなくなります。

あくまでも確率の問題になり、そこに量子が存在している可能性が高い。という事までしか言えなくなります。

量子とは、位置を特定しようとすると速度が分からなくなり、速度を特定しようとすると、位置が分からなくなるそうです。

 

相対と言えども主体と客体という固定点に囚われたアインシュタイン、というものが見えてくるように思えます。

 

物理学はモノ的な観点からコト的な観点へと変化していった、という人がいます。

それまでの物理学というものはノードの端末を一つ一つ分解してみてゆく、という観点から、

ノードはあくまでも端末の一つで、その全体像であるネットワークを把握してゆく、という事だそうです。

 

これを読んだときに思ったのが、養老さんが言っていた、視覚と聴覚の問題です。

視覚というものは構造を認識するもので、それは一瞬でもあり、永遠でもある。

それとは反対に聴覚というものは、機能を認識するもので、時間軸を必要とする。というものです。

 

そして、それを言い方を変えると、色即空是となります。

これは諸説色々あるそうですが、一般的には西遊記で有名な玄奘三蔵法師が般若心経を訳した時の言葉だそうです。

色とはサンスクリットでルーパ、形あるもの、等の複数の意味を持ちます。

空とは主に何も無いもの、を意味しますが、形のないもの、と取ることも出来るかと思います。

 

そういえば、養老さんがどこかで書いておりましたが、宮沢賢治の詩が深いのは視覚的ではなく、聴覚的なためだろう、

と書いておりました。

視覚は大脳の新皮質でも表層の部分に位置し、それよりも脳の深いところにある、聴覚で感じるのだから当然だ、と言った感じだったかと思います。

 

人間の記憶の構造は未だ深く解明されておりませんが、大きな流れは側頭葉の海馬という場所で鋳型が作られ、

そこで作られた物が脳の中枢である、脳幹を中心に脳全体に広がる。という事だったかと思います。

なので、その脳幹に近い感覚器の記憶というものは鮮明に記憶されます。

最も近いものが嗅覚、味覚で、触覚、聴覚、視覚となるそうです。

 

昔嗅いだ匂い、昔食べた味、再び感じると当時の記憶がフラッシュバックします。

それに対して、視覚の記憶はよく無意識に改ざんされます。理想という煩悩のようなものが作用しているように思えます。

 

面白いことに嗅覚、味覚で感じたことは、聴覚、視覚で感じたものよりも言葉にすることが難しいです。

テレビで芸能人が食べ野物感想を言う時には、大概「うまい」を連呼するだけか、もしくは

やわらくて美味しい、や、カリカリして美味しい、等の触覚の方に行きます。

 

だいぶ話がそれたような気がしますが、脳が感じる外の世界、という相対的なもの、

に囚われてしまうのが人間なのではないか?と、思ってしまいます。

だから唯脳論か?うーん、抜け出せない。

Sculptris -10

image645l

どうやら現バージョンではペイントモードからスカルプトに戻ることはできないようです。

変形させるとメッシュの分割が増えるので、当然といえば当然。と言った感じでしょうか。

カラーに一色で塗りつぶした画像を乗せて、マテリアルを変更すると、

マテリアルがあたかもライトのように作用し、シェーディングが変わります。

なんとも不思議な感じがします。

 

しかし、指は作るのが大変です。

今までにない感覚を味わっております。

 

modoのモデリングに慣れると他のツールでは普通に起こる、

カメラのジンバルロックにイライラします。

このツールでもあります。これは早く改善して欲しいところです。

雑記5

「実際のところ、私たちの知っていることは全て近似である」

と言ったのは有名な物理学者ファインマンです。

 

付け焼き刃の知識で色々と書きましたが、強い味方を得た気分です。

ファインマンは日本でも有名な物理学者で、ノーベル賞も取っています。

教育に熱心で、独自の教育方法を行っていたそうです。

 

小学生の教科書作成に関わった話をどこかで読みましたが、

教科書の内容に怒り心頭し、猛烈な抗議を行ったそうです。

 

たしか、エネルギーの事だったかと思いますが、局部的なものを断片的につなげて書かれているだけで、

瑣末でつまらない知識しか書かれていない。これで科学に興味をもつわけがない。

といった感じだったかと思います。

 

そのファインマンは父親にエネルギーの源は太陽で、植物は光合成で成長し、

それを動物が食べ、それを人間が食べる。とか教わった、と書いてあったかと思います。かなりうろ覚えですが、、

全体像と、関連性を教えなければ知識は全く役に立たない。といったことを書いていたように思います。

 

そして、ファインマンは、物理学とは現代における哲学だ。とも言っております。

物理学者や数学者は大抵、自分の行っている学問が思想であり、哲学であることを気づかないそうです。

なんだか、分かる気がします。恐らく普遍性を持った固定のものだと認識するのではないでしょうか?

 

前置きが長くなりました。

 

色々と書いてまとまておきたいことがあるのですが、どうも長くなりそうなので、思いついたときに書いてみたいと思います。

 

まず初めの出発点ですが、大元にあるものは疑問です。

そもそも疑問から学問が生まれるわけなので、当然といえば当然です。

 

何度かこのページでも書きましたが、自分は養老孟司さんの本を良く読みます。

いや、そんなに読んでいないか、、

この人は元解剖学者です。

「バカの壁」で一般的に知られるようになったかと思います。自分もそれで知りました。

他の本を読んでみると、過激な人であることが分かります。それゆえに、自分も一時期嫌厭していました。

しかし、どうも色々な本を読み進めるに従い、養老さんの考えに当てはめると、納得してしまう事柄が多いように感じ、

その後、改めて養老さんに脱帽する。と言った感じに戻ってきました。

 

しかし、どうもひねくれ者のようで、それを踏まえて自分なりの考えを導きだしてみよう。と企む日々です。

 

養老さんがどこかで書いておりましたが、唯脳論という本を書いて、しばらくたった後に、仏教書である、

阿含経を読んだそうです。

元々宗教に対して、どちらかというと遠ざけていたそうですが、何かのきっかけでそれを読み、自分の書いたものと同じではないか。

と驚いたそうです。

釈迦の掌で暴れる孫悟空のようだ。と自身を書いておりました。

 

僭越ながら、自分も同じようにやっていたように思います。

 

そして、またこうも書かれておりました。

縁なき衆生は度し難し。仏教ではこう言うらしく、キリスト教では、宗教に向き合おうとするものはもちろん、それに反抗しようとするものも

口説き落とすことが出来る。しかし、そっぽを向いている人間はどうやっても口説き落とすことができない。

キリスト教の方が分かりやすい。と書かれていたように記憶しております。

 

そして最後に、どうやら年を取ると数千年の歳月によって人間が作り上げた嘘っぱちである宗教というものが、どうも一番安心してだまされることが出来る。

というようなことだったかと思います。ここが間違えていたら、大変ですが、もし興味があったら見つけてみてください。

改めて、やはり過激です。

 

ようやく前置きが出来たので、気ままに書いてゆけそうです。

 

image644l

そして、人間を作っております。手や足のつなぎ目が難しい。今までのツールでは無い感覚です。

ペイントを少し触ってみましたが、どうも一度ペイントしたものをもう一度スカルプトはできないようです。

できないというか、ペイントはやり直しになります。恐らく毎回UVを生成するためだと思います。

 

しかし、それにしてもやはりすごい。使うほどに良さが分かります。

必要最低限。とても美しいツールです。

Smart Normal

Luxologyのフォーラムで、

Smart Normal

というページを見つけました。

ブラウザ上でタンジェントスペースのノーマルマップを作ることができます。

で?

と言った感じですが、もしかしたら何かの役に立つかも知れない。

と思い一応紹介しておきます。

Leonar3Do – Sculptris -09

Leonar3Do

というツールを見つけました。

ついに来たな。と言った感じでしょうか。

3Dメガネを使ってモデリングが出来るツールのようです。

750ユーロ、約8万5千円くらいです。

 

決して使い勝手がよさそうには見えません。

しかし、このビデオ、どうやって撮影しているのでしょうか?

 

3Dcoatを久しぶりに触ってみましたが、

やはり、個人的にはSculptrisの方が良いです。

クリースが使いやすいのと、細かいブラシで書いたところだけを細かくしてくれるのが良いです。

 

3Dcoatもそのうち、部分的な細分化が出来るようになるのでしょうか?

それを見越して今のうちに買っておいたほうが良いのでしょうか?

その機能がついたら、また値段が上がりそうです。

まぁ、いいや。

image642l

写真を見ながら作ることにはまっております。もちろんこれは頭だけですが。

大体一時間くらいでしょうか。楽しめます。

そろそろペイントにも手を出してみようかともいます。

雑記4 – Sculptis -08

image640l

東洋人の女性をしばらく進めていたのですが、どうにもよろしくならなそうなので、

気晴らしに写真を見ながら西洋人男性を作っております。

元があると難しいですね。西洋人の骨格の綺麗さを痛感させられます。

 

作業をしていたら、書こうと思っていたことを忘れました。

ただ、西洋文明的と書いたことはちょっと訂正が必要です。

近代的、と表現したほうが良いかと思います。

西洋文明化、というのはほぼ近代化、と言っても間違いではないかと思いますが、

近代化は必ずしも西洋文明化ではありません。

 

では、その西洋文明がいかにして出来上がったのか、ですが、

古代ギリシアをその発祥とする。という記述を良く見かけます。

その古代ギリシアはエジプトに影響を受け、エジプトはバビロニアに影響を受けました。

ギリシア人はエジプトに出稼ぎに行き、建築に必要な幾何学を学んだそうです。

 

エジプトと言えば、エジプト考古学者の吉村作治さんが有名かと思います。

以前その方の本を読んだときに、今から2千年後に人類が現文明を発掘したらどう思うだろう?

という事を書かれていたかと思います。さすがに考古学者です。着眼点が違います。

それには、毎日狭い箱の中に積み込まれて仕事場に向かう現代日本を、奴隷制度だったのでは?

と思われても仕方がないのではないか?といったことが書いてあったかと思います。

確かに局部的に見るとそう言われても仕方が無いようにも思えます。

ただ、そこまで発掘できれば、もっと分かるだろう。とは思いますが。

 

そして、皮肉なことに古代エジプトでは奴隷がピラミッドを作ったのではない。ということが証明されたようです。

元々は奴隷と思われていた労働者が住んでいたところから、鳥や羊の骨、ビールを入れていた壺が見つかったことがきっかけだったかと思います。

さらに調べてゆくと当時の記録が見つかり、その中の出勤簿から奴隷ではないことが判明したそうです。

休みの理由に二日酔い、などがあったそうです。

 

ピラミッドといえば、面白い仮説を立てた人がいました。

あれは、公共事業であり、神殿であり、堤防だったのではないか。という説です。

公共事業というのは前述の通りですが、どうも休耕期の仕事のない農民が労働力として使われ、農民には現金収入と

そこにいる間の食料、と一杯のビールが支給されたようです。

 

そして、恐らく神殿の役割も果たしていたのだろう、ということです。

 

最後の堤防とは、エジプトはナイル川の氾濫により上流から運ばれてくる、肥沃な土により土地が豊かになるそうです。

古代ローマ時代、ローマ帝国全土の小麦の三分の一を供給する穀倉地帯でした。

 

ただ、ナイル川の東側は硬い岩盤で川が氾濫しても、それ程問題は無かったそうですが、

西側は地盤がもろく、それを防ぐために建てられたものではないか?と考えた人がいます。

 

ちなみにピラミッドは有名な三大ピラミッドの他に数百だったかと思いますが、多数のピラミッドが存在します。

そのほとんどがナイル川の西側にあるそうです。

 

どうも優れた政治とは一石二鳥も三鳥にもなるようです。

日本でも武田信玄が作った信玄堤というものは神社を作り、そこに人がお参りに来ることで堤防が固まり、強固になったそうです。

 

江戸幕府もどこの川だか忘れましたが、川から離れたところに堤防を作り、その内側で農作物を作るのであれば、無税としたそうです。

人々は必死で畑を作ります。洪水が来そうになると力を合わせて、政府から見ると勝手に防ごうとします。

明治期に入り、西洋式の堤防が作られ、そういった政治が無くなってゆきました。

 

西洋式が良いのは分かるが、全部それってのは無いだろう。合ったやり方でやればいいんだよ。

と、言ったのは勝海舟です。

 

なんだかあらぬ方向に話が飛びました。

人の引用ばかりで申し訳ないのですが、コラージュのように継ぎ接ぎしてみました。

雑記3 – Sculptis -07

image639l

東洋人の女性を作っています。

西洋人はやはり作り易いです。細かい形から大きな形を作っていってもそれなりになんとかなります。

東洋人は凹凸が少ないので、それをやるとどうもうまく形が整いません。

特にモデルはなく、細かいパーツは鏡を見ながら作っているので、自分に似てしまっているのかも知れません。

ちょっと男性的です。

 

最近すっかりSculptrisにはまっていますが、そろそろカテゴリー別にしたほうが良いように思います。

まだやってしまいそうです。

 

前回の雑記が中途半端に終わったので、もう少し掘り下げてみようかと思います。

 

自分は物事を見るときに、できるだけ西洋文明的なものを排除しようと努めます。

この行為は西洋文明を否定しているわけではなく、対象物にある多様性を見出したい、という思いからです。

 

西洋文明的な物の見方がある程度の本質を見出す道具だ、とは思います。

それは前回書いたとおり、近似値として我々に明確そうな答えを提示してくれます。

それでも近似値は近似値です。やはりそこには片手落ちな部分が存在します。

 

では、何を西洋的なものと判断するのか、ということが問題になります。

自分も明確な答えを持っているわけではありません。

ただ、現代に生まれた我々は無意識の中にそれが入っているようで、どうもそれだけだと物事の本質的な流れを見失いがちになるかと思います。

勝手な定義ですが、西洋的なものとは部分を構築し、全体像を認識する。

東洋的な見方とは全体を漠然と認識する。かと思います。

 

ただ、東洋と西洋という区切りも微妙で、ヨーロッパという西洋の対義語として東洋、という言葉があるだけで、

そこに含まれる、インド、中国、日本、アジア諸国、すべて文化が違います。

 

では、どこに共通点があるか、というと個人的には、循環、という物がテーマになっているように思います。

インド医学であるアーユルヴェーダも、漢方もその本質にあるものは循環ではないでしょうか?

アーユルヴェーダでは、気の流れ、呼吸により診断を下し、漢方では血液の流れ、脈で診断を下します。

それに対して循環機能を高める、現代医学で言うと代謝を促進し、自然治癒力を旺盛にすることで病を直します。

 

西洋医学では悪いところは切り取ります。

どちらが良い、ということではなくどちらも道具で使いよう、ではないでしょうか?

自文化の局部を切り取り、優越性を主張することは極端なナショナリズムにつながります。

それが歴史上どのような結果を生んだか、歴史を見てゆくとひどい結果をさんざん目の当たりにします。

 

自分は極端な話をすると、手相も統計学も、科学もごちゃまぜにして観察し、考えてみたらいいのでは?と思ってしまいます。

手相も統計学の一種であることは間違いないかと思います。ただ、そこに色々と人の怨念のような文化が複合されています。

 

どうも最近の考えとして、因果応報が先に立つ部分が気になります。

ここの値を増やせば、結果はこうなる。CGはまさにそれです。

これは熱力学から来ているように思います。そもそも熱力学というもの自体が、工学的な学問で、

中で何が起こっているのか分からないまま、それをブラックボックスとして、気圧と温度変化を関数化して理解したのだと思います。

その中では、分子が跳びまわり様々な様子が伺えること間違いなし、と思いながらもそれを全部計算するには途方も無い労力を必要とし、

しかも、それはシミュレーションであり、現実の未来とは異なる可能性大です。

 

しかし、前回の話でもそうですが、関数を導き出し、近似値を求めると、大概結果はそのとおりです。

そこに含まれる瑣末なこと、それを無かったものとして排除する傾向が見受けられます。

どうも個人的にはそこが引っかかります。どうやらひねくれ者のようです。

 

書きたいこととは違うことを長々とかいてしまいました。

うーん、もうしばらく続いてしまいそうです。

アニメーションが親切に解説されております

レンダリング、ライティングの基本が分かります

図版が見やすい美術解剖書です