雑記63 – 非線形科学 – バタフライ効果と同期

非線形科学で説明される現象は、どれも面白いものですが、今回はこの二つについて見てみたいと思います。
まずは、バタフライ効果。これは一頭の蝶の羽ばたきが、数カ月後に数百キロメートル離れたところで、竜巻として観測されるか?という喩えからその名前が付けられています。
どうやら、実世界ではその他の要因に打ち消されて、そうは行かないのではないか。というのがおおよその見解のようです。
しかし、それも正確に測定できないので何とも言い難い。というのが現時点での答えだと思います。

 

そもそもの発見は、カオスの第一人者であり、数学者で気象学者のローレンツがそれを提唱しました。
彼は自作のコンピュータで非線形現象を作り、現実世界とは関係なく、箱庭の世界の気象状況を観測していました。
要するにシミュレーションです。非線形科学はコンピュータと切っては存在し得ない学問、といっても過言ではなく、CGで使われるシミュレーションも非線形です。

 

そんなある日、同じ計算を二度させたらどうなるのだろうか?と計算を途中で止めて、その時点での数値をメモに書き留めてその後しばらく計算させ、グラフを描いていたそうです。
後日メモしておいた数値をコンピュータに入力し、再び計算を開始しました。初めのうちは前回のグラフと同じ物が描かれていたようですが、
しばらく続けてゆくと少しずつずれてゆくことに気が付きました。そのずれは次第に大きくなり、やがて以前のグラフとは似ても似つかないものになったそうです。
原因を調べると、メモした値は確か小数点以下5桁まで、だかで止めて四捨五入したそうですが、コンピュータが扱える値はもっと細かいものだったようです。
要するに勝手に近似で丸めてしまった結果、微少な差が時間の経過と共に全く違うものを生み出すこととなった。ということに気が付き、バタフライ効果と名付けたそうです。
CGのシミュレーションでも、初期値を少し変えただけでも結果が大きく変わることがあります。同じことだと思います。
なので、難しい言葉で表すと、初期値に対する鋭敏な依存性。となります。

 

ローレンツはその他にも、複雑系と呼ばれるカオスですが、最低三つの方程式が連動することで発生することも見出しました。
勝手な想像ですが、これはニュートン力学ではお互いに影響しあう二つの惑星の周期運動を計算で予測できるのに対し、それが三つになると予測不可能となります。
そこにカオスが関係しているように思います。
余談ですが、分裂症患者の眼球の動きは長らく原因が分からなかったそうですが、ある数学者がその眼球の動きに対して、3つの係数からなる方程式を作り出し、カオスを発生させたそうです。
それによりシミュレートされた眼球の動きは、分裂症患者のそれに似ていたそうです。それを聞いた医者等が猛反発したそうです。そんな簡単なものではない、と。
別段どちらの肩を持つ気もありませんが、なんか色々あるんだろうね。としてしか言えません。

 

そして、さらに面白いのが同期(シンクロ)という現象です。
始めて発見したのはニュートンと同時代人のクリスチャン・ホイヘンスという人でした。
彼は光の波動説を唱える科学者でもあり、自ら振り子時計を発明する技術者でもある、という当時のヨーロッパでは珍しいタイプの人でした。
彼の時計は1ヶ月に3秒の狂いを生じる、という当時としては最先端のものでした。
そんな彼がある日、壁にかけた二つの時計を見て、驚きました。
片方が左に振れると、もう片方は右に振れています。いくら正確とは言え月に3秒狂うので、ほおっておけば必ず狂います。
しかし、いくら時間が経っても同期が崩れることがなく、試しに片方に手を加えてわざとずらしてみても、しばらくするとやはり同期します。
同じ部屋であればどこでも同期が確認できたので、一つを違う部屋に持ってゆき、二つが同時に見渡せるところから観測したようです。
すると、その二つは全く同期することは無かったそうです。

 

東南アジアの蛍には、数百万匹の蛍が同じ木に止まり、一斉に明滅を繰り返すものがあるそうです。想像するだけでも幻想的な景色です。
それを生命のサーカディアンリズム(概日リズム)につなげて考える方もいます。蛍と同じように、人間の心臓の細胞も、同期によって心拍している。という見解です。
どうも生命体というものはリズム、周波数というものに大きく影響されているようで、小さいところでは知覚されませんが、大きなところでは虫の鳴き声のように影響し合うものがあります。

 

そして、近年もてはやされている脳科学という分野において、アフォーダンスという仮説が提唱されています。
そもそもこの記事を書くきっかけは、武田さんのページでアフォーダンスについて書かれている箇所を読んだからです。
そこで、わかり易い解説がありましたが、戦闘機のパイロットは視界に飛行機を見つけ、それを外部、もしくは自分の脳で検証して、敵機と判断するのではなく、
敵機からそれが発せられている。というような記述を見つけました。すみません、文章は不確かです。
アフォーダンスとは、外部から発せられる情報。という事なので、おおよその意味は合っているかと思います。

 

コンピュータが増々進化し、複雑な計算を行えるようになると、より多くの条件を入れてシミュレート出来るようになると思います。当たり前の話ですが。
しかし、所詮はシミュレーションで、現実ではありません。いくら細かくしようが、初期値に対する鋭敏な依存性がある限りは、全く別の結果になる。
我々がいくら神に近づこうとしても近づけない理由のようにも思えます。

 

そういえば、以前日本でスーパーコンピュータを作ってゆく意義、というものを仕分けしていました、スーパーコンピュータというものは1位の会社がシェアの6割を取る。
という事から、2位ではいけない。という当然の事を誰も説明せずに、とにかくダメ。という風潮が気になりました。
世界に売る必要はない。もしくはそれ程計算精度を求めない研究。という方向を議論する機会だと思ったのですが、すぐに感情論になってしまいます。残念なことです。
同じような時期に、長崎の大学だかで、市販のグラフィックボードを並列につなげて、スーパーコンピュータ並の速度を出すことに成功した教授が取材されていました。
何とも日本らしい、と勝手に誇らしく思ってしまいました。確か6千万円くらいで出来るそうです。日本が強いのは工学だ、と改めて認識させられます。

LWCAD4.0

LWCADが4.0になったそうです。フリーのツールではありませんが紹介します。
それはともかく、FuturArch | FuturArchというツールがあるそうです。
MAXのプラグインだそうですが、殆どLWCADです。

 

Luxologyのフォーラムで知りましたが、やはりフォーラムでもなぜだ、というような書き込みのようです。
modoでも出してくれればいいのに、、
LightWave9.0のアップグレードの時に付属してきたかと思いますが、これの為にアップグレードした、といっても過言ではありません。
MaxのプラグインはLWCADバージョン1くらいの機能のように思います。
3.0くらいでLightWaveの機能を凌駕したように思います。もっともビデオチュートリアルを見てそう思っただけですが。

 

いいなぁ、

 

そういえば、こんな本が出るそうです。
BornDigitalのショッピングサイトでキャンペーン中にアカウントを作ったので、5千円分のポイントがありましたが、すでに無効になっているようです、、
殆どタダで手に入ると思ったのに、残念。

雑記62 – 61の補足

普段考えていることを書き留めていれば良いのですが、頭の中に入れて後で書くことになるので、よく書き忘れます。
武田邦彦さんのページを紹介したときに肝心な事を書くことを忘れていたので補足します。

 

勝手に、養老孟司さんと比べておいて、なんですが、一元的に優劣を言うつもりはありません。
どちらも凄いと思います。
文句を恐れいているわけではなく、失礼に当たるかと思ったので書いておきます。

 

では、なぜもう一歩、という言葉が出たかというと、唯脳論という脳を基点にした考え方に由来します。
我々の考えていることは全て1.5kg程しか無い脳みそで考えられています。
いくら正確なデータ、といっても計測するのも解釈するのもその1.5kgの物質が操作しています。
だから極論してしまうと、正確なものなどこの世にない。という結論が導き出されます。

 

例で上げると、「きけわだつみのこえ」という太平洋戦争当時、主に学徒出陣した方々が書いた物を集めた本があります。
ただ、これが編集された当時はGHQの影響力、というよりも勝手にGHQに配慮する形であり、左翼思想により国家主義的、軍国主義的な部分が意識的に削除されました。
その後、生に近いものを編集しようとした動きもありましたが、原稿が失われていたり、個人の利権や思想が絡み、中々思うように行かないようです。
たかだか数十年前の事でもこの有様です。
数百年、数千年となれば、なおのこと酷い事は明らかで、神の手事件という、捏造事件があったことでも、正確な出来事を知ることは容易でないことは容易く想像できます。

 

そんな前のことでなくて、今起きていることならば大丈夫だろう。とテレビではコメンテーターの方々が仰ります。
しかし、個々の脳みそでバイアスがかかりそれを無意識でやっているので、やはり同じことだと思います。
およそ人間の脳みそではランダムということが創りだせません。
適当な言葉の羅列を想像していっても、いつしかそれは単語の組み合わせになります。
だから大人は子供の絵を描けないのです。大人よりも自然に近い子供が大人が想像できないことを考えるのも当たり前の話です。
結局考えても分かりません。

 

なんだか随分と話がそれました。
要するに脳という基点を持ってこられてしまうと、太刀打ち出来ません。納得してしまうし、府に落ちます。
それでいて、反発したくもなります。カードゲームでジョーカーを取られてようなものかと思います。

 

武田さんのページでは、ダイオキシンの無毒性、リサイクルによるゴミの増加や消費燃料の増加、その他様々実際のデータを載せながら丁寧に説明されております。
頭ごなしに報道を信じてしまう事の危険性を痛感します。

 

西洋の文化ではア・プリオリという概念が存在します。人によっては、頭ごなし、とまで訳してしまいます。
原理の説明であり、それが結局は原理に依存するようになり、原理主義となります。

 

物として片手落ちな人間の脳が、この世の中には片手落ちではないものが存在するはずだ。と考えて想像したのが、神だと思います。
片手落ちではない神は、片手落ちの人間の脳みそによって創造された。となるかと思います。幾何学と同じです。
起こった事象に対して単純な因果関係を結び、納得する。養老さんはそれを幸せな人。と呼びます。
個々には軽蔑や羨みは入っていないかと思います。ただ、単純にそれで納得出来れば人生それ程の幸せは無いだろう。というだけだと思います。

 

人間は植物と長い付き合いがあります。
種を掛け合わせて自分たちの都合が良いように作物を育ててきました。
それを品種改良といいます。
そして、近年では遺伝子というものを発見し、直接都合の良い遺伝子を組み込むことで更なる進化を求めました。それを遺伝子改良といいます。
分子生物学は神が行うのも人間が行うのも違いはない。と説明します。
しかし、前述のとおりに人間にランダムが作れないということは、人間の都合の良いように物事を解釈する、という事に繋がります。
自然の複雑さを幾何学で近似して、それを自然に戻すのはどうだろうか?と、個人的には思います。

三面図

The-Blueprints.com

CAR blueprints

Thomas Suurland

 

無料の三面図が置いてあるサイトです。
またまたLuxologyのフォーラムで見つけたのですが、自分のブックマークにすでにあるサイトでした。
ついでなので、そのフォーラムにはないものも載せておきます。
昔は他にもあったように思いますが、整理の仕方が悪いのか見つかりません。

雑記61 – 武田邦彦さんのページ

最近良くテレビでお見受けする先生のページです。
嫁さんが読んでいたのを見て、読み始めてみました。

 

相当な分量があり、全てを読むにはそれなりに時間がかかるかと思います。
特に今回の原発事故について、色々と書かれております。
どうやら、以前そういった施設の所長さんでもあったそうで、そういった経緯から罪滅ぼしの意識のようなものを感じます。
しかし、本当にひどい事故だと思います。

 

それはさておき、大学の先生、ということで、自分の中では勝手に養老孟司さんと重ねて見てしまいます。
書かれていることに、重なる部分もあり、仕方が無いかとは思います。
ただ、僭越ながら言わせていただくと、もう一歩欲しい。と思ってしまいます。

 

端的な例で説明すると、学生に似た様な質問をされている場面があります。
「こんなことをして何か意味があるのですか?」要するに将来的に役に立つのか、立たないのか、ということが聞きたいのだろうと思います。
それに対して、武田さんは、「やってみないと役に立つかなんか、判らないよ。」と優しく答えます。
養老さんでは「お前怠けるな。」です。
どちらも詳しく話をすると同じような事になります。

 

お二人とも理系の方なので、そういった点で思考が似ているようにも思います。
理系の特徴として、失敗は成功の元、という考えがあります。
先のことは分からないので、実験なんかは失敗するのが当たり前。うまく出来れば儲け物。
それに対して、文系ではそうは行きません。

 

竹内薫さんは近年の企業の制度改革などは文系によってなされていることを指摘します。
企業にとって手っ取り早いコストカットは、開発、研究費の削除です。失敗して当然と思っている人たちを文系の人は理解できません。
家庭に例えるのならば、教育費ということになります。
当然のようにそこにお金を掛けなければ、しばらくは過去の知的資産を食いつぶして、財政は立て直せます。
しかし、それがなくなったときにはすでに遅く、立て直しにはより大きな金額を投資し、教育してゆく必要があります。
しかも文化的な側面も含まれていると思うので、ヘタをするとお金では解決できないことになり得ます。

 

養老さんでは百俵の俵、という話を引き合いにそれと同じようなことを説明していました。
国からの交付金で百俵の俵が各自治体に配られたそうですが、新潟のとある村では、村長の一存でそれを全て売り払い、学校を建ててしまったそうです。
あとからそれを聞いた村人は村長に抗議したそうですが、使い道を聞いて了承したそうです。
その後その村は多くの賢人を排出し、有名になったそうです。
結果的には良い事になりましたが、相談はしようよ。と思ってしまいます。

 

そういえば、養老さんといえば、先日嫁さんからこんなページも教えてもらいました。
糸井重里さんとの対談です。相変わらずですが、面白いです。
ここでも述べられていますが、現在日本のいくつかの企業では、社内での共用語を英語にする流れがあります。
そういった事では先進的なGoogleでは前にそういった事をしていたそうです。しかし、どうやら日本人は日本語を使って作業をしたほうが効率が良い。
ということが分かり、中止されたそうです。

 

西洋から来たものは確かに豪華絢爛で、我々の目を奪いました。
しかし、日本独自のものの凄さ、ということを見つめ直しても良いのではないでしょうか?
それこそ、昔の職人のように、気に入らなかったら帰ってくんな。というような感じに。
拒絶する必要もありませんが、迎合する必要もない。お互いを尊重して付き合えるようになったらいいな。と思います。
何を甘っちょろい、と言われそうですが、人間はそういった青臭いことを起点にして進化してきたように思います。
夢がなければ、先に進めない。夢だけでは飯は食えない。ただそれだけのように思います。

 

特に最近の綺麗事で包まれた隠蔽工作の数々を見てゆくと痛感してしまいます。
もんじゅや常陽は大丈夫なのでしょうか?
今までさんざんCMを利用して電力化を進め、綺羅びやかな未来を見せられたきたのは何だったのでしょうか?
こんな世知辛い世の中、せめて綺麗事だけでも言わせてくれ。ということなのでしょうか?

キャラ 2

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随分と更新を怠っておりました。
色々と作業をしていました。

以前wacomのタブレットとWindows7の相性について書きましたが、
どうもmodoのペイントが原因のようでした。すみません、、

スカルプトでは全く影響は出ないのですが、ペイント時にツールパレットなどにポインタを持って行くと発症します。
ポインタが止まります。
初めのうちはすぐに帰ってくるのですが、時間の経過と共に時間が長くなり、仕舞いには帰って来なくなります。
マウスは使えます。
とても不便です。

バグだと思うので、そのうち治るのかとも思います。
今回のキャラは(も?)てこずっております。メカモノのデザインは特に苦手です。
何となく見えてきてはいるのですが、あくまでも何となくなので、何度もつくり直しています。
飽きないうちに仕上げないとなぁ。なんだか相変わらずグダグダです。

自分で勝手に物を作るときは無駄にハードルをあげるような傾向があるように感じます。
良くない癖です。

雑記60 – Intuos4とWindows7 – 概念世界と感覚世界

やらなければならない事が一段落したのでサイトの更新をします。

 

どうもタブレットの調子が悪いのです。
職場の環境に原因があるのかと思ったのですが、自宅でも多少起こります。
症状としては、タブレットの遅延が酷くなります。場合によっては反応しなくなります。
調べてみたのですが、そういった症状を経験している人がいるようで、Windows7のTabletPCのコンポーネントに問題があるようです。
それらの機能をひと通り外してもしばらくすると起こります。

 

どうもWindows7とIntuos4とフォトショップそして、フォトショップと同時にmodoを起動しペイントしているとだんだんと症状が悪化してゆきます。
自宅の環境がIntuos2なので、症状が少なくて済んでいるのかも知れません。
結局原因を特定できず、フォトショップとmodoはできるだけ同時に起動しない。起動してもタブレットは使わない。
どうしても同時に使う必要があれば、症状が酷くなったら再起動。そんな感じです。不便です。
デフォルトでTabletPCの設定がされているのもどうかと思うのですが、仕方がありません。

 

久しぶりにゲームらしいテクスチャの作成をしていましたが、あまりの不出来に自分でびっくりしました。
焦っても仕方が無いので、必死にしがみついて続けていたら、まぁまぁマシにはなりましたが、いただけません。怠けていた自分が悪いので仕方がない。

 

作業している間、概念世界(頭)と感覚世界(体)について考えていました。
「ここがおかしいんだよ。」「頭では分かっているが、うまく出来ないんだよ。」そんな自問自答をします。
「なんで分からないのだろう?」「頭で考えているだけだからだよ。」そんな答えが出ます。
だからやるべき事は、ただひたすらに描き続ける。それだけです。

 

養老孟司さんがどこかで書いていましたが、言語というものは概念世界と感覚世界を結びつけるものだ。という事でした。
だから感覚世界の事を説明するときは、「ここをもっとこう。」という、訳の分からない言葉になるのだともいます。自分でやればその人なりの理解が出来る。
人間の理解とは概念ではなく、感覚によるもので、府に落ちなければ理解は出来ません。
言葉に対して全ての人が全く同じ概念を持っているわけではなく、その人の経験により作られた物が積み重なって形成されてゆきます。
人間の脳、という大きなくくりで存在する物の見方、脳の癖のようなものが存在し、言語を理解すれば、どこの国の人であろうとも話が通じる。
しかし逆に、個人の脳の癖も存在し、いくら話をしても誤解を生じる。考えて見れば当たり前のことです。
同じ人生を歩んでいるわけではないので、同じ考えを持ち得ない、しかし同時に通ずる部分もある。

 

養老さんが指摘するように、近代では同じという錯覚が大きくなっているのだろうと思います。
要するに、近似で丸めすぎ、四捨五入も程々に、といった感じでしょうか。
そう考えてゆくと、人間は起きている時間(人生の約3分の2)という意識の世界に注力し、残りの3分の1の無意識の世界を近似で丸めてしまった。といっても良いのかも知れません。
どこかで説明されていいましたが、「為せば成る。」という意識の世界を重要視するようになって行った。
そして、そういった考えを昔から持っていた西洋では、「我思う故に我あり。」となったのだろう。とあったように思います。
「思う前からあるじゃない。」そんな事を言うと、「それは私の肉体であり、精神ではない。」と返ってくるのだと思います。

 

「こうあらねばならない。」「本来はこういったものだった。」最近良く聞くように思います。
まさに意識の産物なのだと思います。「なんか知らないけど、なっちゃったんだよ。」だと説得力に欠けてしまいます。
思えば以前は自分も意識に重点を置いていました。理想を追い求める意識を優先させていたように思います。
結婚し、子供が出来て分かりました。より感覚的で無意識的な子供は、大人の思うような無駄の省略、意識の統制に欠けます。
大人が意識的にさせようとする部分は、躾という子供の為を思う部分であると同時に、人から躾のできない親だと思われたくない部分が存在します。
あまり行き過ぎてしまうと、本来の目的を逸脱する。という事になります。それにより家庭の雰囲気が悪くなれば、結局子供のためにはならない。
目的と手段が入れ替わることは、世の中では多々あります。
肉体的にも精神的に無理の無いよう、程々頑張り、思いやる気もちさえ忘れずに、流れに任せて生きて行ければなぁ。などと思います。

雑記59 – modoとXSI

久しぶりの更新になってしまいました。
しかも雑記でCGネタです。本来CGサイトの雑記はこうあるべきなのかとも思います。

 

modo501sp3が出ました。
英語版の時からインストールしてみましたが、嬉しいことにペイントのレスポンスが良くなっています。
丁度そういった用途で使っていたので、助かります。
どうやらsp2と比較すると段違い。といっても過言ではないようです。
もう戻れない。よく我慢していた。そんな印象です。
それ以外のバグフィックスは良く分かりません。

 

そして、XSIです。
むしろ今ではSIというべきなのだろうかと思いますが、SIだと検索で引っかからないので好きではないです。
自分が引っかかりたい。というのでなく、そうなってからただでさえ少ないXSIの情報がより見つけにくくなりました。悔しいのです。
最近になり、比較的バージョンの新しいものを触る機会が出来ましたが、久しぶりに触ってちょっとびっくりしました。
見た目は全く変わっていなかったので、安心(残念?)なのですが、起動時にFaceRobotのインターフェイスで起動するようです。
いちいちXSIのインターフェイスに戻してやる必要があります。
どこかで設定があるのだろう。と初めは高を括っていたのですが、どうも見つかりません。

 

名前もそうですが、こういった細かいところで嫌がらせを感じてしまいます。
折角素晴らしいツールなのに、この扱いはなんだろう?
お金もあるし、目障りだから買っておこうか。という感じで買収が行われたのでしょうか。とても残念です。

 

ツールによって、得意不得意、考え方の違いによる融通が利く場面の違い。これらを使い分けるのに苦労します。
あぁ、これXSI弱かったんだ、、おぉ、そうだ、こんなことができたんだ。そんな感じです。

アニメーションが親切に解説されております

レンダリング、ライティングの基本が分かります

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