雑記69 – 立派な経済活動を探す その2

前回立派な経済活動を探しだそうとしたのですが、途中で寄り道をしてそのままどこかに行ってしまったように思います。
探す立場から探される立場になったようです。

 

近代日本において、経済発展が目覚ましかった時代といえば、高度経済成長期が挙げられます。
この時代、モーレツ社員や企業戦士等と会社に対して滅私奉公するサラリーマンを礼賛する言葉が流行りました。
現在50代、60代を迎える方々ですが、最近都会では50代、60代男性の孤独死が増えているそうです。
皮肉なことに、その方々の遺品整理などをする会社が大層な勢いで増えています。

 

家庭を省みず、会社に奉仕し、現在の日本の成長を築き上げた。
合理化、効率化、それらが流動的な経済をより一層加速させてゆきました。
そして、死して尚その立派な経済活動を支えるために一役買っているようです。何とも切なくなります。

 

どうも、子育てと農作業をしていると、共通する部分があることに気が付きます。
どちらも大人の考えを当てはめると、とんでもない間違いを犯す。
自分の都合が良いように物事を進めようと、ついイライラしてしまうことがありますが、相手は知ったことかと、気ままに振舞う。

 

現代農業では、窒素、リン酸、カリ、という三つの要素のみで土の栄養を語ります。
確かに重要な要素ではあるが、それ以外のものを見落としすぎているところに問題があります。
化学肥料を投入すると虫が良く付きます。人間でいうところの肥満、でしょうか。
だから、農薬で退治します。簡単な因果関係を結び、大地を工場化してゆきます。

 

都会では、火葬場と保育所を作るのが難しいそうです。
気味が悪い、ということと、うるさい、という理由だそうです。一体どこで子供を育て、どこで死ぬべきでしょうか?
病院では、産婦人科や小児科の先生が減っているそうです。訴訟問題に発展する確率が高い上に、仕事内容もハードです。
そして、死亡診断も責任問題が大きく関わってくるので、出来るならば病院で死んで欲しくないようです。
しかし、現代では病院以外で死ぬと警察が出てきてしまいます。

 

前回と同じような終わり方になってしまいますが、養老孟司さんはこうも言っていました。
都市化が進み、自然を排除してゆく現代に対して、「生まれないで、死なないでくれ。」
どうやら、これは養老さんが我々に言っている言葉、というよりも、上記の事を踏まえると、我々が我々自身に言っている言葉のように受け取れます。
別に悲観的な話を書きたいのではないのですが、そんな感じの文章になってしまったように思います。
また脇にそれたような気もするので、また再度挑戦してみます。

Surface Sketching for Blender – Blenderのアドオン

Surface Sketching for Blender (timelapse demo) from Blend_Ideas on Vimeo.

最近「おっ」という凄い機能のものを見ると大抵Blenderです。
そろそろ本気で乗り換えを考えたほうが良いのだろうか?とちょっと思ってきます。
ペイントはどうなのでしょうか?さすがにそれはまだ整っていないかな?

 

modoは決して悪くはないのですが、ゲームの作り手にはちょっと冷たい。
でもそれ以外のことを考えると、とても良い。
しかし、御三家を始め、高価なツールがBlenderに比べると霞んでしまうようなバージョンアップしかしていない様に思います。
ICEはとても興味があるのですが、中々踏み込めないでいます。

雑記68 – 立派な経済活動を探す

以前知事と大臣のやりとりで、これだけ自動販売機がたくさんある国はおかしい、という知事に対し、それらも立派な経済活動の一環である。と反論した大臣の話を書きました。
どうも立派な経済活動というものは探してみると面白いところに出てくるようなので、書いてみます。

 

テレビで見たことがありますが、東京都内には街にあふれる雨水の対処のために巨大な貯水施設があります。
数千億円だか、とにかく莫大な費用を掛けて作ったのを誇らしげに見せている映像がありました。

 

やはりここでも立派な経済活動が存在します。
元々そういった施設は存在しなかったもので、必要になった理由は都市の全面的なアスファルト化にあります。
自然に地面に染みていた水が、アスファルトによって透水しなくなり、そのような巨大な排水施設が必要になりました。
しかも、それだけでも足りないようです。

 

少し前まで「足るを知る」という言葉が良く聞かれました。
どうも自分には良く分かりません。
元々「無い」ものが技術革新や、経済の活性化により入手できるようになると、「ある」ものに変化します。
アフリカのどこかの村では、一つの村200人で洗面器を共有するそうです。彼らに取ってはごく普通の日常なのだと思います。
しかし、東京で同じことをやろうとすると、大変なことになるのは想像に難しくありません。
100円ショップで簡単に手に入るものをわざわざ隣近所の人と共有する必要もありません。パフォーマンスか近代芸術の領域に入ります。
それは、それで面白いと思いますが、彼らに取っての「足る」と我々の「足る」はすでに乖離している事に気が付きます。
そういえば、自動販売機を非難した知事は、経済の活性化と言ってオリンピックを招致しようとしていますが、どうも自分には矛盾しているように感じてしまいます。

 

休日に田んぼや畑の手伝いをさせていただいておりますが、そこで作業をしていると村社会の必然性を痛感します。
人によってはトラクターが日本の社会を壊した、ともいいます。もっと本質的なことを言うと、トラクターを買えるお金が壊した。ということです。
トラクターは一人で大規模の作業を行うことが出来ます。それがない以前は人手でやっていました。
東南アジアの貧しい国々はトラクターが買えないので、未だに根強い村社会が存在します。
トラクターは石油で動きます。トラクターを作る工場も石油で動きます。田畑に撒く化学肥料も農薬も石油の力で作られます。
要するに現代日本人は自国からは殆ど採れない石油によって飯を食っている。ということにもなります。
お金があるから出来たことで、それにより人と人とが助けあう村社会が崩壊しました。
もっとも、すでに窮屈なそれはいずれにせよそうなったのかも知れません。そこにも知る。ということが関連してきます。

 

外の世界を知る前は、それはそれなりに幸せだったのかも知れません。しかし、知ってしまってからでは中々後戻りできません。
個人的には無理に後戻りする必要もないし、知ったことを後悔する必要もない。どちらにせよ時間は非可逆的なのですから、と思います。

 

街頭のチラシ配りについて、考えたことがありました。
自分にとって大抵必要ないそれを受け取るべきが、受け取らないべきか、という何とも下らない問題です。
必要ないのであれば、バイトの人が仕事を早く終わらせられるように、受け取るべきではないか?
ゴミが増えるだけだから自分が受け取ったことによって、それがより助長されてしまうのではないか?という、またまた何とも下らない問題です。
結局自分一人が意識的にどうこうしようと、恐らく何も変わらない。という答えに行き着きました。
なので、必要であればもらい、そうでなければ軽く会釈をして通り過ぎる。という、何とも普通なつまらない回答が導きだされました。
問題もどうでもいいし、答えもどうでもいいです。

 

立派な経済活動というものは、個人の思惑だけではどうにもならない。
暴れん坊で有名な将軍吉宗も、江戸時代の大名行列を無駄である、ということから廃しいようと試みましたが、結局そうはなりませんでした。
時の権力者ですらそうなのだから、仕方がない。もっとも将軍は盟主であって国王ではない。ということもいえるかも知れませんが、どちらにせよ強い反発は必至です。

 

そういえば、養老孟司さんはそんな現代に生きる我々に対し、「アレが無い、コレが無い。何が無いって、品が無い。」という事を書いていました。
何とも痛烈です。

Bsurfaces – Blenderのアドオン それとフリーのIES

bsurfacesというBlenderのアドオンがあるそうです。
またまた、Luxologyのフォーラムで知りました。
どうやら有料ツールのようです。Blenderでも有料のツールがあるのですね。

 

スプラインでモデリングするツールのようです。リトポにも使えます。
ムービーを見る限り使いやすそうなツールです。
modoにもこんな機能ついてくれないかぁ。

 

modoのsp4が出たようですが、日本語版はまだです。
フィックスされたバグを見ても、タブレットを使ってテクスチャを描いている時にポインタが動かなくなってゆくバグに関しての修正は無いようです。残念。
限られた環境だけなのでしょうか?とても困ります。
Windowsをログアウトすれば回復することは分かりました。

 

それと、Commercial Lighting—Williams Light Fixture Catalogこんなページも紹介されていました。
IESライトのデータです。
image834l
こんな感じでした。
なんだかものすごく大層なライトです。種類がとてつもなく豊富なので、便利かと思います。

雑記67 – タネの話 その2

引き続きタネの話です。

 

ヨーロッパではアメリカと違い、遺伝子改良には懐疑的ですが、それでも規制されるまでは数年間流通していたようです。
規制をされて食品としては流通がほぼなくなったようですが、工業製品に使用されるものに関しては特に規制は無いようで、
むしろ遺伝子改良した種子が良く使用されるようです。
遺伝子改良と一口にいっても方法はいろいろあり、意図的に組み替えたり、放射線を照射することでランダムに遺伝子を破壊し、新たな特性を引き出すものがあります。
キャノーラと呼ばれる菜種の種類は、後者の方法で作成された人工的な種子です。
元々は工業用として使われていたものが、照射線の照射により食用としても使用できるものになったようです。

 

「偽りの種子」では、著者がダンスのワークショップに参加したときに偶然知り合った、農業企業の分子生物学者とのやりとりが書かれていました。
状況が状況なので、世間話程度の始まりですが、遺伝子改良について聞いたようです。
その会社ではアフリカの食糧危機のため、という大義名分を徹底させているようで、その分子生物学者の人も正義感を持ってその会社に勤めているそうです。
そして、著者は遺伝子というものが部分的な機能で作用しているだけでなく、全体として機能している部分があるとは思わないのか?と聞いていましたが、
その学者は答えられなかったそうです。

 

遺伝子や、神経細胞は非線形力学によるスケール・フリー・ネットワークと呼ばれる系(システム)で構築されています。
インターネットなども同じ構造で、そのネットワークの特徴としては、ランダムな攻撃には弱いが、大きなハブを特定して狙った攻撃には脆いことが分かります。
スケール・フリー・ネットワークの面白いところは、幾何学的なネットワークよりも情報伝達の効率に優れ、実際の人間社会においても、「6次の隔たり」という都市伝説的な物に表されます。
「6次の隔たり」とは、どんな人でも知り合いを6人辿ると繋がっている。という意味を持ちます。
もちろん起点となる人によって違いますが、映画の出演者で同じことを試した人がいますが、大体3次で繋がるそうです。スモール・ワールド、とも呼ばれます。

 

遺伝子改良を奨励するアメリカでは、機械的な農業改革が進みます。
以前テレビで見ましたが、アメリカのとうもろこし畑は円形をしていました。現代において、世界の穀物庫の役割を果たしているアメリカの農業を支えているものは、豊富な地下水です。
アメリカの地下には巨大な地底湖があり、そこから水を取り、畑に撒く為に一つの管を通し、その管を中心にコンパスのように円を描く機械で水と農薬、肥料を撒きます。
そして、その地底湖はここ100年で大幅に水位が減ったようで、管を延長しないと水が取れない農家が出てきたようです。
それには莫大な投資が必要で、投資ができない農家は管を延長するよりも他で畑を作るそうです。
そして日本とは違い、雨が少ない大地ではそういった畑は砂漠化してゆきます。
中国でも、意図せず中国国内に入ってしまっていた遊牧民たちは、大規模な移動を制限され、仕方がなく畑を作ります。
先祖代々、土地を耕すな、といわれてきた大地です。土が数センチしかなく、直ぐに砂が現れます。ここでも砂漠は増えているようです。

 

中国といえば、先日ニュースで成長剤を投与しすぎて次々にスイカが爆発するという事件がありました。
去年の日本は猛暑で多くの夏野菜が不作に見舞われたと聞きます。不足分は中国から輸入したそうです。大丈夫なのでしょうか?知りませんでした、、
もっともこの時代に安心なものを口にするのは無理。と諦めたほうが良いようです。

 

東洋には食養道という思想があります。医食同源、というやつです。
部分を食するのではなく、全体を食することで意味を成す。ともいうそうです。
うーん、現代というのは、やっぱりちょっと人間の意図的なものに偏っているような気がするなぁ。

雑記66 – タネの話

普段我々が口にする、食べ物のタネに興味を持ったので調べてみました。
現在日本に流通している種はF1種と固定種と呼ばれる、二種類の種に分類されます。

 

F1とは「first filial generation」の略だそうで、一代限りの種を意味します。
固定種とは、長い時間をかけて自然にその土地に馴染んでいった種をそう呼びます。

 

秀吉の朝鮮出兵の時に、長野の侍が九州から持ち帰ったカブを地元に持ち帰ったそうですが、
長野の土地では根が大きくならず、葉を食べるようになったそうです。それが野沢菜です。
それに対し、F1とは近代に生まれた種で、雑種強勢を利用したものです。
現在市場に出回っている種と野菜のほとんどがF1種です。

 

雑種強勢とはロバと馬を掛けあわせると、ラバという品種が出来上がります。
両親のいいとこ取りで、ロバの持久力と、馬の瞬発力を兼ね備えたものになるそうです。
ただ、欠点としては雑種強勢により生まれた個体は子供を生むことが出来ません。
人間とチンパンジーも掛け合わさる。という話を聞いたことがありますが、定かではありません。

 

植物においては、雑種強勢により、生長が早くなり、生育が揃い易くなる。さらに色形が良くなる、といった効果があるようです。
ただ、固定種に比べると味は劣ることが多いようです。
外食産業の人は種屋さんに「味付けは我々がするから、できるだけ菌の少ない野菜を作ってくれ。」とまで言う方もいるそうです。何を作っているのだか分かりません。

 

現代の農業は工場化が進み、効率のよい作業に重点が置かれます。
効率化とは、人間基準で考えた方法論を意味します。もっと言ってしまえば、大人の考えともいえるかと思います。
子供や自然は、人間の大人からみると理不尽です。意味が無い、意味が分からないことを平気で行います。
それは大人の頭で考えているからであって、感じているのではないからだと思います。

 

そして、そういった品種改良にとどまらず、遺伝子改良という手法も加わってきました。
まだ、人間に対して明確なデータは揃っていませんが、ラットでの実験では内蔵癌になる確率が有意に増えたそうです。
しかし、そいうった情報は余り公開されないようです。
現在アメリカが先頭切って遺伝子改良に踏み込んでいます。
大豆などは最たるもので、Bt毒素と呼ばれる元々一部のバクテリアが生成していた物を大豆に組み込みました。
そうすることで、大豆に害虫が付かなくなります。さらに、除草剤に対する耐性も追加し、その大豆の種と除草剤を一緒に売って大儲けだそうです。
現在日本では大豆の自給率が5%程ですが、スーパーではほとんどの大豆製品が国産です。どう行ったからくりがあるのでしょうか?

 

アフリカの食糧危機を救うため、と称してそういった改良を進めているそうですが、現代の食料事情は有史以来最高水準で、一人当たりに換算すると一日1.8kgの食料があるそうです。
日本は40%に満たない自給率だったかと思いますが、そのうち300万トンを廃棄しています。
廃棄されるコンビニ弁当をリサイクルするため、家畜に食べさせる。という事もしています。牛に牛を食べさせて狂牛病になったように、豚に豚を食べさせたり、鶏に鶏を食べさせたら、
未知の病気が引き起こるだろう。と、武田邦彦さんは警鐘を鳴らします。
また、現在の畜産も効率化の餌食になり、牛を飼っている牧場で牛を放し飼いにしているところは全体の9%程度だそうです。
牛舎につなげて、薬漬けで乳をしぼり、肉を取るそうです。
現在有機農業ではそういった畜産の糞尿が使用されます。それらを堆肥化させて、田畑に撒くそうです。堆肥化させる段階で、薬品は濃縮されるという話も聞きます。
うーん、増々何を作っているのか分かりません。

 

アメリカでは遺伝子改良についての懐疑的な記事を書くと、ラッダイト(産業革命当時、職を失う恐れを抱いき、が機械を破壊した労働者達)だの反進歩的左翼運動家と一方的に言われ非難されるそうです。
現在の日本でも原発で、そのような感じかと思います。どうも利権が絡むと同じような力学が発生するようです。
マスコミはどこに行っても変わりません。
アメリカではサプリメントに使用された成分で、裁判が起こりました。
どうやら、現在サプリメントとして使用されるビタミンなどの成分は、遺伝子改良されたバクテリアによって生成されている事が多いそうです。
さすがに日本は大丈夫だろう。と思っていたら、その訴訟を起こされた会社は日本の会社でした。
結局因果関係が解明される以前に多額の賠償金を支払うことで、決着したそうです。
このあたりの話は、

こちらに詳しくあります。ただ、どうも釈然としないのですが、データが断片的です。
もっと広範囲に渡ったデータでないと、因果関係を結ぶことは危険なように思います。
例えば、アメリカの保護観察官で、更生率が約80%の人がいるそうです。他の保護観察官はどのくらいか分かりません。
ただ、面白いのは、その保護観察官は取り立てて特別な事をしているわけではないようで、食事を自然食にしているだけだそうです。
化学物質を使わない料理を出す。現代にあっては至難の業です。

 

また、本にある実験では、着色料が動物に与える影響、というものにも少し触れています。
着色料をとったラットはそうでないラットに比べ、孤独を好み、怒りやすくなる。と、ありました。うーん、無理やり現代人っぽい像を当てはめすぎていないかな?と感じてしまいます。
ただ、日本でも同じよな話を聞きました。落ちこぼれが集まる有名な高校で、週に2日だか3日だかの給食に発酵発芽玄米を出すようにしたら、数年で進学校になったそうです。
もっとも、これも単純に因果関係を求められません。

 

ちなみに、現在日本で固定種を専門に扱っている店は2つしかないそうです。野口種苗研究所さん畑懐さん。生長が遅く、生育も揃わない固定種は現代の農業には向いていないそうで、家庭菜園にはぴったしだそうです。

Discrete Element Textures(ImageSynth 3D?) – NOX(フリーのレンダラー)

例によりLuxologyのフォーラムで知りました。

ImageSynthの3D版か?といった感じで、書かれているようです。何なんでしょうかこれは?シーグラフの論文が元になっているそうですが、良く分かりません。
どういった操作で行われているのか分からないので、何とも言い難いですが、簡単な操作だけで出来ているとしたら凄いことです。職を失いそうです。

 

そして、NOXというフリーのレンダラーも話題に上がっています。
3D人さんのところでも紹介されております。チュートリアルを見る限りでは、凄そうです。
SSSやディスプレイスメントマップ、ノーマルマップには対応していないそうです。ちょっと残念。

 

image833l
色々と作りかけのがたくさんありますが、またまた違うものにとりかかってしまいました。我ながらヒドイ話だ。
過去のデータから流用しようと開いてみたら、あまりの酷さにびっくりしました。かといって今のが良いかといったら、それもどうかと思います。
まぁ、それが分かっただけ進化したのだろう。と自分に言い聞かせます。相変わらずノロマな進化だ。

雑記65 – 収束

どうも最近サボリ気味です。他のことをしているので仕方がない。

 

名前のところで書こうと思っていたのですが、忘れていたので、書き足します。

 

どうも人間の意識というものは収束する傾向にあるように感じます。
それこそが、意識である。とでも言わんばかりのように思います。

 

名前を付けたり、色数を区分けすることで、物事がその方へと収束していく。そんな感じでしょうか?
例えば、自分は霊が存在するか?という問に対しては首をかしげます。
しかし、通常人間が知覚できないものがこの世に存在するか?という問に対しては当然の如く頷きます。

 

霊、という区分けを作ることで、意識がそちらに滑るように移行します。
そういった意識で物を見ると、より一層霊の存在を強く認識するのだと思います。

 

以前どこかで養老孟司さんが書いておりましたが、幽霊を見てびっくりした人がその拍子に骨折したとしたら、
その人にとっては幽霊という存在が現実のものとなる。と書かれておりました。
読んだ当時は良く分からず、それは客観的事実では無いのでは?と考えておりました。
しかし、よく良く考えてみると、当人に取って事実であることを客体が否定をすることは難しい。ということに気が付きます。
要するに客体というものは、さも当然のように使われる言葉ですが、自分を客体であると認識している人はこの世に一人としていません。

 

さらに、人間の脳には補正機能が入っているので、冷静であれば間違うことの無いような事でも、
恐怖感などにより冷静さを失うと、およそ人形でないものでも、人形であると認識し、浮いている人形、イコール霊と単純な式を作ってしまいがちです。

 

言葉は力を秘めている。ソクラテスや古代の日本人はそう考えていました。
物事を認識する。という動作はそれに名前を付ける、という副次的な効果をもたらし、その副次的であったものに人間の脳は囚われ、
今度は反対にそうである。という認識のもとに物事を観察するようになる。
だから必然的に言葉には力が宿る。

 

さらに面白いことに、その作用が現象や対象物に及ぶ可能性を示唆する言葉があります。名は体を表す。
これはどういう事でしょうか?CGの世界では光の計算を端折るために現実世界とは反対の事をして、絵を作ることがあります。レイトレースといいます。
名は体を表す。という言葉はそれと同じように、カメラから物体を浮かび上がらせるような効果のように思います。
もっともそれが全てに当てはまるか、となると疑問が残ります。名前負け。という言葉もあります。

 

以前ミラーニューロンについて少し書きましたが、一部の霊長類に存在する脳神経細胞で、相手の行動をあたかも自分がしているかの如く認識する細胞です。
では、それ以外の動物などにはそういった現象は起こらないのでしょうか?
少なくとも脳神経細胞という観点からは無いようですが、同期という観点からはあるようです。
同期は、TVアニメを見ていた子供が瞬間的な明滅を繰り返す場面で脳が同期し、発作を起こしたり、ルータのトラフィック原因になったり、
周期的な運動を繰り返す惑星や衛星にまで影響を及ぼします。
そう考えてゆくと、最先端の科学を研究する学者が、時たま新興宗教などに傾倒するのも無理は無いように思います。
それも言葉で区切られているから、そうなってしまう作用で、人間はこの世のことを殆ど知覚できない。と考えていれば問題ないように思います。
どちらにせよ、信じるものは救われる。かな?

ZBrush11

Franc

久々にZBrushです。勘を忘れてしまいました。

どうもこのツールの面白いところは、使い方を忘れる。とか、そういった部分でなく、

久しぶりに木炭紙を目の前にしたときのような恐怖感や絶望を味合わせてくれます。

 

もっとも常日頃やっていなかった自分が悪いだけなので、仕方が無いのですが。

 

リトポしようか迷っています。
このまま進めても良いかなぁ、とも思っています。どこまですすめるか、によるところなので一概には決められませんが、
一枚絵でいいので、恐らくこのまますすめるかも知れません。やっていて気持ち悪くなったらリトポします。
早くZBrushの本が出ないかなぁ、と心待ちにしております。
もっと使えるようになりたい。という気持ちと、出来ればこんな特殊な操作性のツールは使いたくない。という気持ちが交差します。

雑記64 – 「からくり民主主義」

他にも書いておきたい本があったのですが、あまりに面白かったので、これを紹介します。

 

またまた、偶然見かけた新聞の書評で、養老孟司さんが書かれているものがありました。
同じ著者が書いた違う本ですが、書評の中で、これを読むと今の原発問題がよくわかる。というようなことが書いてあったのと、タイトルが面白かったので借りて読んでみました。
すみません、また買ってません。

 

著者は若い頃にテレビ制作のAD(アシスタント・ディレクター)をされていたそうで、その後どういった経緯か知りませんが、現在はフリーのライターさんのようです。
そのくらいの経歴しか存じ上げませんが、その経歴と文面を拝見する限りで言うと、相当人生経験を積まれてこられたのかと、想像します。
AD時代の苦情対応から、苦情全般を通して日本の文化に斬り込んでゆき、太平洋戦争を持ち合いに出したかと思えば、その後の合同結婚式を挙げる宗教集団へと繋がってゆきます。
見事なまでの筆さばきです。笑えないような話も特有のブラックジョークのような言い回しで、ついつい笑わずには読めません。

 

その後も、上九一色村や白川郷、沖縄の基地問題に、福井の原発銀座に青木ヶ原樹海と、タブーとされる問題を取り上げ取材を繰り広げます。
もちろんどれも難しい問題なので、答えなど出る余地もありません。
あとがきにもありますが、著者は取材対象に対して、全くの無知から始め自分で資料を集め調べることから始めるそうです。なので、調べつくした頃にはすでにブームは過ぎている。
という状態から始めるそうです。何とも独特です。だからこそここまで俯瞰的でありながらも、現場的なスタンスなのだと思います。
「こうあるべきだ。」というスタンスを全く持たない。だってしょうがないよ。とついつい思ってしまう本でした。

 

養老さんは書評の中で、近頃の報道を見ていると腹の立つことが多い。老人なので、腹を立ててばかりいると疲れる。
そんな時にこの本を読むと、気が抜けて楽になれる。というような事を書かれていたかと思います。
まさにそんな感じです。それでいながら、知識量は凄いです。

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