雑記90 – 複雑系その2

複雑系を学んでいると不思議に思うことがあります。
最先端の知識が本になることが少ないのは、複雑系に限ったことではありませんが、
基本的に最先端の研究をする方々は容易に本は書けないようで、本を書くために数年費やすとそれだけで研究が遅れてしまいます。
更にはその数年で既にその研究は時代遅れになってしまう。というジレンマがあるようです。

 

なので、どうしても読むとしても数年前、下手をすると20年近く前の本を読むことになります。
複雑系の研究はコンピュータによるシミュレーションに依る部分が多く、20年前のコンピュータというと、現代のパソコン以下のレベルだと思います。
その時点で既に見られている自己組織化、当時の本を読むとコンピュータの爆発的な進歩により、これらの研究は大きく進んでゆく、
と、期待と希望を交えて書いてあります。
そうなっている(コンピュータの進歩)と思うのですが、人工生命などについては今でもそれ程話しは聞きません。
むしろGoogleなのでしょうか?

 

人によっては、人間が作り出した自己複製子、コンピュータウィルスは製作者の意図を離れ、
それらが巨大なネットワークを介して、何らかの自己組織化が進んでいるのではないか。という人もいます。
しかし、我々と発生起源が大きく異なるそれを、我々が近くできる保証はない。だそうです。

 
そして、もうひとつ。
ここまで複雑である。ということがわかっているのにも関わらず、社会的には単純な法則が好まれる風潮があることです。
平たく言ってしまうと、養老孟司さんが仰っている、ああすればこうなる。という関係性です。
確かに閉じた系においては、そういった線型近似が成り立っても、開いた系では成り立たない。
では、世の中は開いているか、と言うと、必ずしもそうではない。
恐らく、閉じきってもいないし、開ききってもいない。だからこそ線型近似が成り立つのだと思います。

 

テレビでは、これを食べると健康になる。こういう運動をするとダイエットになる。そんな話ばかりです。
確実に言えることは、人によりけり。

 

論文などは最たるもので、帰納法と演繹法が多用されます。
いくつかの事象から法則性を見出し、それらを他に適用して自然の摂理を理解してゆく。という、重み、とも取れる方向性が存在します。
科学というものが宗教と違う所は、反証可能性です。
絶えず仮説が打ち立てられ、それまでの定説が覆されます。
対して宗教では、すべての理由を「神の思し召し」と説明してしまえばおしまいです。
しかし、科学には既に哲学が内包されています。平明でクリアなものではない。むしろそう考えるほうが宗教的である。とすら言うことができます。

 

複雑系の研究は、アメリカが入る以前は、ソビエトと日本で地味に盛んだったそうです。
アメリカでは、核爆弾を作ったロスアラモス研究所の近く、サンタフェ研究所において行われるようになりました。
その研究所は、様々な分野の研究者が数ヶ月の短期間滞在して、研究を行う。というスタイルで運営されたようです。
複雑系の研究所で、既に人員が複雑系になったそうです。

 

ちょっと話がずれました。
先の震災以降、地震の予知に関する記事を良く見かけます。阪神淡路大震災の時もそうでした。
年月と共にそれらは少なくなってゆきます。そして決まって言われるのが、首都直下型地震についてです。
現在地震が起きる原因とされているのは、プレートの移動と、マントル内での相転移によるもの、とされております。
それらも表層的なものかも知れませんし、あくまでも仮説の段階です。
地震の分布を調べた人によれば、地震の頻度はべき乗則に従う。ということくらいしか分かりませんでした。
要するに震度が高くなるほど、頻度が下がる。
釣鐘型の正規分布であれば、真ん中あたりが丁度頻度が高い、ということになります。
100人の日本人成人男子をランダムに選び、そのひとりひとりに合う前に次の人の身長を当てろ、と言われたら、
日本人の平均身長を言っておけば、最も当たる確率が高くなりうる。
それに対して、次に起こる地震を言い当てろ、と言われたら、震度1未満。と言っておけば最も確率が高くなる。それだけです。

 

それら、予知にかんしては、研究者の立場で考えると尚分かります。
これはとても分のいい賭けで、当たれば認められるし、外れても、良かった、と人々は喜びます。いやむしろ忘れている。
それでお金がもらえるのであれば、言わないほうがおかしい。ということになる。
外れたら責任とをって腹でも召されたらいかが?なんてことを言ってしまうと、何も言えなくなってしまう。

 

恐らくそれらは、発信する側に問題がある。とするよりも、受取り手の問題ではないでしょうか?
研究者の発表も、芸人さんの一発芸も、同じような感覚で受け取るのが良いように思います。

雑記89

複雑系について色々と書いておきたい事があるのですが、滞っております。

 

どうも最近仕事が楽しく、相当体力を使っているようで、家に帰って子供を寝かしつけると、一緒にそのまま寝てしまいます。
楽しさの原因はひたすらPythonです。
家に帰って、無事に寝ずに済んでも、PyscripterでPythonです。

 

この業界に入って仕事が楽しいのはいつ以来だろうか。等と考えてしまいます。
初めの頃は、自分で動いてキャプチャを撮って、それを修正しつつ、スクリプトでタイミングやブレンドの具合を調整しておりました。
とても楽しかったのですが、それ以上に覚えることが多すぎて、毎日てんやわんやでした。
その後仕事の形態がどんどん変わって行き、今ではもやは自分が作っているものがゲームに関係するのかも良く分からなくなりました。

 

しかし、MayaはCGツールとしてはどうしても好きにはなれませんが、スクリプトを使って色々やる分にはとても楽しい。
modoはCGツールとしてとても好きだが、スクリプトを使って色々やるには自分にとって障害が高い。

 

Mayaの利点は、検索すると直ぐに引っかかる。要するにユーザーが多い、ということが挙げられるかと思います。
それに対して、XSIはどうでしょう。
XSIからSIに名前が戻されたのは何かの陰謀ではないか、と疑ってしまうほど検索で引っかからなくなりました。
日本においてはユーザー数も少ない上に、キーワードがより一般的なものになってしまうともはや絶望的です。

 

うーん、折角だからXSIのスクリプトも何か作りたいなぁ。XSI自体久しく触っておりません、、
もっとPythonを勉強してクラスが使いこなせるようになりたい。それが今の願いです。

雑記88 – 複雑系

最近は脳科学と複雑系にハマっております。
脳もその系は複雑系に含まれるものなので、同じものであることが分かります。
対象物の問題か、観測者の問題か。
個人的には、どちらがどう、という場合は大抵どちらもそれなりに、という考えを持つようにしているので、この場合も恐らくそんな感じだろうと思っております。

 

では複雑系とは何か、その質問に対して、そもそも一言で済む話であれば、それは複雑系ではない。
と、言われる方もいます。まさしく仰るとおりで、ややこしい。
そして、きちんと説明しようとする人でも、
ある系が複数の要素からなり、各要素は各自のルールで振舞うと同時にこれらの要素は互いに相互作用する。
と説明される方もいます。
要するに、色いろあるんだよ。ということくらいしか一言では説明できない。
なので、一回で説明する気もありませんし、それ程大した知識を得たわけではないのでできない。

 

ただ、複雑系、というものを知ってゆくと物理学者の方が書かれる本に対する疑問点が分かったような気がします。
系(システム)の状態は大きく分けると3つになるそうで、閉じた系、開いた系、独立系、と存在するそうです。
ただ、この独立系というのは前の2つがあるならこれもあるだろう。と作られたように感じてしまいます。
 

閉じた系とは、外界とエネルギーの交換はするが、物質の交換はしない、というもので、
開いた系とは、外界とエネルギーも物質も交換する、というものです。
因みに独立系とは、外界とエネルギーの交換も物質の交換もしない、という系です。

 

では、何がそれに当たるのか、細胞というものを例にとって説明したいと思います。
細胞はその系で言うと、閉じた系です。もっと正確にいうのであれば、近似で閉じた系です。
細胞は外界からエネルギーを取り込み、それを使用し、排泄します。
これは生命というものが外部からエネルギーを取り、それを使用し、形態を維持する、という機能が備わっている構造であることから、
散逸構造で、非平衡開放系である。とも呼ばれます。
では、その両方を持っていると生物か、というと、人類の知る限り、数世紀にも及びその形状を維持している木星の大赤斑も生命だ、といえてしまいます。
そして、その生命が平衡状態になるときはどんな時か、というと、生命が死んだ時です。
生命が死ぬと、その構造は徐々に失われてゆきます。
分子レベルの分解が働き、形を留めていられ無くなります。要するにエントロピーの増大則に従って、やがて消滅する。

 

その細胞が単細胞生物であれば、それはその生物の死を意味します。
しかし、我々のような多細胞生物にとって、それは新陳代謝を意味します。要するに成長、修復作業の一環でしか無い。
それは、細胞を閉じた系として捉えた時の現象であって、もう一段上の閉じた系である、生命体から見ると全く違うものが見えてくる。
そして、我々は外界からエネルギーを取得しますが、実際には物質も取得しています。
本来外界から物質を取得するのに最も適した方法は、直接融合することだと思いますが、
恐らくそれをすると、分子レベルでの不可知のものに対して対処しきれない。という理由から捕食、という行為が加わり、
余計であろうと思われるものを排泄しているのだろうと思います。

 

全体から見ると、それら物質の交換が小さいものだ、という考えから閉じた系、となったのだと思います。
地球も太陽光線によりエネルギーを得て、赤外線という形でエントロピーを外界に放出している、とされております。
そこに落ちる隕石や宇宙線は小さいものなので、近似で閉じた系、となっているようです。

 

どうもこの辺り、勝手に閉じさせてしまっているのが、自分にとって大きな疑問点になっているように思います。
そして、閉じた系として計算すると、ある程度計算可能な部分がある。要するに秩序だっている。
しかし、必ずしもそれが咬み合わない。どうやらこの辺りは、秩序からカオスの縁、そして、カオスへと移り変わる相転移、という現象が大きく関わっているように思います。

 

ともかく、今までの科学というものは、決定論と要素還元論という2つの軸を持ち進化して行きました。
決定論とは、ニュートン力学のような方程式で未来の状況を予測する、と簡単に言ってしまうとそういったもので、
要素還元論、とは物事を分けてシンプルに考える。というものです。
そういえば、養老孟司さんもどこかに書いておりましたが、解剖学に置ける近代化は、骨をバラバラにして書いたことに始まる。というような事を書かれておりました。
それ以前のものでは、「人の骨々」と書かれ、全体の骨格が書かれていたそうですが、要素を分けて観察することで理解を深める、
という流れは、恐らくそういった形で始まっていったのかと思います。

 

思えば、人の理解、という行為にはそういった要素が強いように感じます。
切り分けて、観察、計量することで、理解が出来る。
言ってしまえば、分けるという行為は分かる為の行為で、分かるということは、分けただけでしか無い。ということも出来るかと思います。

 

そして、細胞の話に戻すと、細胞はほっておくとエントロピーの増大則に従い、その形を留めることはない、
しかし、受精卵と呼ばれるものは、細胞分裂を繰り返し、自己組織化が始まってゆく。
さらには分裂した2細胞期や4細胞期の胚をそれぞれ、2つ、4つと分割すると、最終的には2体、4体の成体へと成長する。
そういった視点で見ると、全体は部分の集合だとする、今までの科学では説明がつかない。

 

うーん、複雑系、知れば知るほど分からない。ということしか分からない。分からない、ということがよく分かった。
またまた面白い。

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