雑記37 – 「物理学と神」
とてもすばらしい本でした。
やはりそうですよね、と僭越ながらに勝手に思ってしまいました。
知識量と幅の広さ、疑うことを忘れないスタンスに脱帽です。
サイエンスライターである竹内薫さんは理系に凝り固まった人は比喩表現が嫌いであることを指摘します。
例えてものを言うと、物事の本質から外れてしまう。というのが原因のようです。
ただ、一般の人に理解を得るのであれば、多少違えども比喩表現を使わないと賛同は得られないことをどこかで書いております。
そういった意味で言うと、ここに出てくる比喩表現はとても秀逸です。
昔は真空とは無を意味するものでしたが、不思議と真空に電気を加えると電子が飛び出します。
そして、陽電子という電子とは逆の電荷を持った反物質も生成されます。
これは真空とはマイナスのエネルギーを持った電子が集まっている状態なのではないか?とされていますが、
それを比喩表現を使って説明しています。
空の財布(真空)があり、カード(電場)を消費者金融の自動現金支払機に入れて手続きをすると、
現金(電子)と借金(陽電子)が出てくる。
なんとも痛快な例えです。思わず声を立てずに大笑いしてしまいました。
そして、全編を通して神を軸に科学というものがどのように接してきたのか、科学というものが神とどのように接してきたのか、
歴史を掘り下げ探求してゆきます。
対称性と複雑系、というものが出てきます。
不思議と人が美しいと感じる物、崇高であると感じるものは対称性があることを指摘ます。
対称性を広げて言うと、「無」こそは最も対称性が高いものである。としながらも、以前ここでも書いたかと思いますが、
対称性が破れることで、この宇宙は誕生しました。
そして、時間の経過と共に複雑系が増えてゆきます。
熱力学の第二法則は、エントロピーの増大則です。
これについても簡単に説明されており、お湯をほっておけば自然と冷めてゆく、が水はほっておいても外部からのエネルギーが無い限りは温まらない。
ほっておくと温度の高いもの(質が高い、エントロピーは低い)は温度の低いもの(質が低い、エントロピーは高い)に変化します。
そういえば、どこかで読みましたが、このエントロピーの増大はマクロである宇宙にも適用できるのではないか?というのを読んだ記憶があります。
それは、元々宇宙はエントロピーが低く、対称性が極めて高かったものだが、時間の経過と共にエントロピーが増大し、カオス(複雑系)が増えているのでは?
というものでした、最終的には全てがカオスになる。という結論だったかと思います。
この本では、物理学だけでなく、経済学、そして仏教に関しても言及しています。
アインシュタインが間違えと認めた斥力、というものがありますが、これはアインシュタインが作った宇宙を記述する方程式では宇宙は有限であることを否めなくなるので、
永久不滅の宇宙を作り出すために入れた項でした。
その後の科学者は時代の変遷と共に、それを取り付けたり外したりします。
人間が知っている物質など宇宙の5%ほどでしかなく、それ以外の95%を知り得ない状態で右往左往する科学者に対して、
あたかも釈迦の手のひらでウロウロしているようだ。という感想がありました。養老さんを思い出しました。
どうも個人的には対称性と複雑系、脳みそと体。同じように感じてしまいます。
対象物の問題か、主体の問題か。世界には客体というものは存在しません。世間一般に言われる客体とは主体の複合体で、
複素数からなる最終ベクトルに過ぎません。
考える個人は結局のところ自分の脳みそから出てゆくわけには行きません。そう考えると最終ベクトルこそが神の意志。と考えるのも一興かもしれません。
未だ少し興奮気味なので、文章が変です。今に始まったことでもありませんが。
そういえば、modo501ついに出たようですね。日本では24日にリリースされるそうです。
見たところマルチレゾリューションのスカルプトで継ぎ目が見えることは無いように見受けられます。
そうなるとトポロジーを崩すとどうなるのかが一番気になります。どういう形でデータを持っているのかも気になります。
ZBrush程のスカルプトの快適さは期待できませんが、ポリゴン編集しながらスカルプト出来るのであれば万々歳です。
ようやく頂点カラーに焼付が出来るようになったのですね、それに関しては、遅いよ、と言いたくなります。
しかしアップデートの無いように、マニュアルの充実が謳われているみたいですが、翻訳する人の身になると吐き気を催す内容ですね、
ユーザーとしては大変ありがたいのですが。ご苦労様です。
うーん、待ち遠しい。
最近のアドビやオートデスクの製品では感じられないものを感じています。
期待は裏切られるのでしょうか?
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