雑記51 – 「べてるの家「非」援助論」

 

べてるの家という精神障害を患った方々が作った会社の話です。

アルコール依存症、精神分裂症、うつ病、と後天的な障害のようです。

 

安心してサボれる会社、利益のないところを大切に、をモットーにしているそうで、この本が書かれたときには年商1億円だそうですが、今はどうか知りません。

朝出社して、ようやくその日に誰が来るか分かる、何かあったらすぐミーティング、とにかくミーティングに時間をかける。

と通常の会社では全くマイナス面として捉えられる事を当たり前にしてうまくいっているそうです。

 

会社のピンチに発作や病気が原因で、更なるピンチを迎えますが、それが逆にいい結果を生むようで、周りの人達の助けを借りピンチを切り抜けたそうです。

社会復帰という抽象的でよく分からない事を目的にするのでなく、お金儲けと地域活性化という目的を持って経営しているそうです。

 

現代の医療では、精神障害に対し薬で閉じ込める、コミュニケーション能力を高める。という手立てが取られますが、ここでは病気と共存することを目的そします。

薬では一時的に抑えられても何かのはずみでより大きくなって出てくることが多いようで、弊害となります。

病気であることを認め、生き方の方向性を右肩上がりではなく、右肩下がりを目指して生きてゆく。と、何とも頼もしいものです。

 

始めてここに来る人達は、仕事を一生懸命しようとし、頑張ってしまうようです。

元々そういった精神障害になってしまう人というのは真面目な人が多く、自責の念を常に持っています。

周りから注意され、自分でもそれを抑えようと頑張るけども、中々そうも行かない、その葛藤の日々で発症してしまいます。

そして、頑張って仕事を一人でこなしても、周りは平気でサボったり大して仕事をしていない現状を見て、自分への怒りがやがて周りへの怒りへと変わり、

人によって程度の差こそあれ、やがて爆発します。どうも、ここではそうなってからが始まりのようです。

 

とにかく深く話しあうことでお互いに妥協できる点を見つけ出し、ひとりで出来る仕事を二人、三人で出来るようにすると効率的になる。

普通と逆の考え方です。

人の善意を信頼する。という言葉がありました。それは、人に対して大幅な信頼を寄せると、相手も人なので時と場合によってはそれに答えられなくなる。

しかし、人間は誰でも自分の環境を良くしたい、少なくとも悪くしたいと働きかける人はいない。という最低限の事を信じていれば解決方法は必ず見つかる。

 

今の社会では全く無視されてしまう部分で、人間というものが進化の過程で得たコミュニケーション能力、ということを考えさせられます。

哺乳類において、人間のように広い大域を使って発声する種はいません。近いところを探せば鳥類になります。

咽頭の構造が全く違いますが、進化の過程でたまたま発達したものを違う用途で使うことでそれが発展したいったようです。

人間は狩猟を行うために発生を進化させた、と昔は言われておりましたが、人間が主な捕食者となったのは10万年前、と比較的最近です。

それまではどちらかというと被食者だったようです。

ヨーロッパ大陸では現代でも狼は人を襲うそうです。童話や昔話に良く登場します。しかし1万5千年前に人類が足を踏み入れたアメリカ大陸の狼にとって、

人間は被食者ではなく、天敵として認識されているようで、人を襲うことは滅多にありません。

 

ちょっと話がずれました。

ずれたついでに、もう一つ。本の中で面白い言葉がありました。

問題を見つけようと物事を見れば、そこからさらなる問題が出てきて何時まで経ってもキリがない。というものでした。

恐らくそれと同じく、希望を持ってみれば同じなのだと思います。

また非線形科学の話になりますが、フラクタルの一種でコッホ雪片というものがあります。ウィキペディアのページをリンクしましたが、その下の方にある図です。

これは一つの正三角形を元に、それと同じ形を組み合わせて作ります。

無限に繰り返し、図を細密にしてゆくことが可能ですが、どれだけ繰り返しても初めの正三角形の各頂点を結んで作られる円の面積を超えることはありません。

当たり前のようですが、これは有限の面積の中に無限の線が引かれる。ということを意味しています。

もっとも物理的な時間と空間の許す限り。という限定条件によります。ゼノンの逆理を思い出します。

人間の頭で考えること、それの模写で作られたコンピュータで行われること、が成せる技かと思います。

 

物事を分断しようと思えば、際限なく出来る。ということを意味しているのではないでしょうか?

思えば類人猿の化石を発掘するのは、宝くじに当たるよりも確率は低いそうで、見つけた人は喜んで新たな種として命名します。

人によって個性があります。上腕大動脈が無くても生きている人もいます。別の種とするのか同じ種とするのか、何を基準に同判断しましょうか。

という問題が出てきます。

人によって細かい構造は異なるが、大体の構造は同じように作られている。微分積分の話でしょうか?

 

なんだか随分と違う話になりました。

どうも人間の脳みその性質として、この世の中を正比例で考えようと、単純にして考えようとする方向性があるのだと思います。

その考えに対して注意をうながすために昔の人はわざわざ、この世のことは定常ではない。諸行無常と言ったのだろうなぁ、と思ってしまいます。

コメントする

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

トラックバックする

トラックバック用URL:

アニメーションが親切に解説されております

レンダリング、ライティングの基本が分かります

図版が見やすい美術解剖書です