雑記58 – 虹の色数

どうも最初にお題を付けてから書くと、それに囚われてしまい書きづらくなります。
随分と前に考えていた事、ということもあり、今更それを引っ張り出すのも中々気持ちが上がらないようなので、
比較的最近考えてみたことを書いてみます。

 

虹の色数は何色でしょう?アホみたいな質問ですが、一般的には7色といわれております。
これはドレミファソラシの音階に符合させて解釈したものです。
古代ギリシャの哲学では音が森羅万象全ての根底に通ずる、という考えから来ており、それに合わせただけだと思います。
人間の聴覚である蝸牛では、音の知覚がピアノの鍵盤と並びが同じである事も考え合わせると面白いようにも思います。

 

ニュートンはプリズムの分光により太陽光線には全ての色の要素が含まれている、と言う事を発見しました。
では7色が全てなのでしょうか?人間の可視光線とは4000オングストロームから8000オングストロームの電磁波を指します。
それより小さい周波数を紫外線、大きい周波数を赤外線と呼びます。人間には知覚できませんが存在しています。

 

実際に試したことはありませんが、もしデジカメで虹を撮影し、それをフォトショップなりで開いて色を抽出することは可能です。
様々な色が存在することは容易に想像できますが、現行のモニターの最大色表示数は約1千6百万色と言われております。
もし、ニュートンの言うようにすべての色が含まれているのであれば、それだけの色数があってもいいのかと思いますが、
どうにも疑問が残ります。拡散と反射では色の質が違う、とそこまでのことを主張する気はありませんが、やはり暗い色は少ないかと思います。
あくまでも要素であって、それではない。ということでしょうか。まぁ、いいです。
面白いことにこの実験では実は量子力学の問題も浮き出ていることが分かります。

 

量子は人間が知覚した時点で粒子となり古典物理学の影響下に置かれる。といわれます。
空に現れる虹の色を場所を明確にして測ることは出来ません。空中にあるもので、しかも色は複雑なグラデーションをなしております。
それをデジカメで撮ることでピクセルに変換し、RGB256段階で表現ができるようになります。
カメラを固定し、連写して撮ったものを比較するとどうなるのでしょうか?やってはいませんが当たり前のように、似た様な画像が出来ます。
それの同じ場所の値を取得するとどうでしょう?偶然に全く一致する。ということも全く考えられないことではありませんが、難しいかと思います。
さらにはHDRIで撮影し、32ビットの情報量ではいかがでしょうか?さらに一致が難しくなります。

 

そこで量子力学ではコペンハーゲン解釈というものを持ち出しました。その論争が行われたのがコペンハーゲンなだけです。
シュレディンガーの猫と呼ばれるもので、箱の中に生きた猫とある装置を入れます。
その装置は線量計とそれにつながったハンマー、青酸カリが入った瓶を入れます。そしてラジウムを入れ、
線量計が放射線を感知したらハンマーが振り下ろされ、青酸カリが入った瓶を割る。というものです。
量子の振る舞いが確率的にしか求められないのであれば、その猫は生きている状態と死んでいる状態の半々の状態になりうるのではないか?
という皮肉を込めた話で、実際に実験されたことではありません。
そして、線量計により知覚された時点で確率でしか求められないミクロな世界は古典力学によるマクロな世界に変化するので、
ミクロとマクロは全く関係が断絶されたものである。という事になりました。

 

要するにリアルタイムに目で観ている虹と、デジカメで撮った虹とは別物だ。といっているようなものです。
そして、量子力学は多世界解釈というものを生み出しました。以前少し書きましたが、光の振る舞いを量子力学で計算するには、
考えられる全ての経路を足す。ということを書きました。経路積分ともいいます。
それと同じで、全ての確率を考慮する。という立場の考えで、その時知覚した世界もあれば、知覚しない世界も同時に存在する。
パラレルワールドの誕生です。

 

物理学とは自然に起こるハードの問題を解決するために生まれたかと思いますが、思想というソフトの問題に行き着いてしまいました。
コペンハーゲン解釈か多世界解釈か、カラスが鳴くのはカラスの勝手か。

 

どうもこの問題は唯脳論に行き着きます。脳が感じて考えているのだから仕方がない。
西洋哲学や現代社会では測定できないことは存在しないこと、と認める風潮が多々あります。
そして、こうすればああなる。という単純な因果関係を結んでしまいます。
だから養老孟司さんは自分で感じ、自分で考えろ。ということを繰り返しいうのだと思います。
答えというものは、自分が納得する。というものであり、政府のお墨付きや学者の提言はシャーマンの神託と大した違いはない。ということなのだろうと思います。

 

少し前に流行した、正義についての本を読んでみました。
やはり、原点探しから始まります。いや、原点探しに終始している。といっても過言ではないかと思います。
しかし、その努力が現代の文明を築いている事も事実です。人間の衝動や情熱。それにより人類は進化しましたが、同時に色々なものを破壊しました。
恐らく、それらすべてが生命というものが持つ、方向性なのだろうと思います。
人に限らず、動物は目に意識を寄せます。なぜだろうかと考えていましたが、動物の体において、これほど幾何学的な部位は無い。
ということも重要なのではないかと思います。幾何学は自然現象の近似なのだと思います。間違っているけど大体合ってる。
現代においてはそんな答えは見向きもされませんが。

コメント/トラックバック (1件)

  1. 技研 | 雑記 - 雑記65 – 収束 のコメント:

    [...] 名前と虹のところで書こうと思っていたのですが、忘れていたので、書き足します。 [...]

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