雑記61 – 武田邦彦さんのページ

最近良くテレビでお見受けする先生のページです。
嫁さんが読んでいたのを見て、読み始めてみました。

 

相当な分量があり、全てを読むにはそれなりに時間がかかるかと思います。
特に今回の原発事故について、色々と書かれております。
どうやら、以前そういった施設の所長さんでもあったそうで、そういった経緯から罪滅ぼしの意識のようなものを感じます。
しかし、本当にひどい事故だと思います。

 

それはさておき、大学の先生、ということで、自分の中では勝手に養老孟司さんと重ねて見てしまいます。
書かれていることに、重なる部分もあり、仕方が無いかとは思います。
ただ、僭越ながら言わせていただくと、もう一歩欲しい。と思ってしまいます。

 

端的な例で説明すると、学生に似た様な質問をされている場面があります。
「こんなことをして何か意味があるのですか?」要するに将来的に役に立つのか、立たないのか、ということが聞きたいのだろうと思います。
それに対して、武田さんは、「やってみないと役に立つかなんか、判らないよ。」と優しく答えます。
養老さんでは「お前怠けるな。」です。
どちらも詳しく話をすると同じような事になります。

 

お二人とも理系の方なので、そういった点で思考が似ているようにも思います。
理系の特徴として、失敗は成功の元、という考えがあります。
先のことは分からないので、実験なんかは失敗するのが当たり前。うまく出来れば儲け物。
それに対して、文系ではそうは行きません。

 

竹内薫さんは近年の企業の制度改革などは文系によってなされていることを指摘します。
企業にとって手っ取り早いコストカットは、開発、研究費の削除です。失敗して当然と思っている人たちを文系の人は理解できません。
家庭に例えるのならば、教育費ということになります。
当然のようにそこにお金を掛けなければ、しばらくは過去の知的資産を食いつぶして、財政は立て直せます。
しかし、それがなくなったときにはすでに遅く、立て直しにはより大きな金額を投資し、教育してゆく必要があります。
しかも文化的な側面も含まれていると思うので、ヘタをするとお金では解決できないことになり得ます。

 

養老さんでは百俵の俵、という話を引き合いにそれと同じようなことを説明していました。
国からの交付金で百俵の俵が各自治体に配られたそうですが、新潟のとある村では、村長の一存でそれを全て売り払い、学校を建ててしまったそうです。
あとからそれを聞いた村人は村長に抗議したそうですが、使い道を聞いて了承したそうです。
その後その村は多くの賢人を排出し、有名になったそうです。
結果的には良い事になりましたが、相談はしようよ。と思ってしまいます。

 

そういえば、養老さんといえば、先日嫁さんからこんなページも教えてもらいました。
糸井重里さんとの対談です。相変わらずですが、面白いです。
ここでも述べられていますが、現在日本のいくつかの企業では、社内での共用語を英語にする流れがあります。
そういった事では先進的なGoogleでは前にそういった事をしていたそうです。しかし、どうやら日本人は日本語を使って作業をしたほうが効率が良い。
ということが分かり、中止されたそうです。

 

西洋から来たものは確かに豪華絢爛で、我々の目を奪いました。
しかし、日本独自のものの凄さ、ということを見つめ直しても良いのではないでしょうか?
それこそ、昔の職人のように、気に入らなかったら帰ってくんな。というような感じに。
拒絶する必要もありませんが、迎合する必要もない。お互いを尊重して付き合えるようになったらいいな。と思います。
何を甘っちょろい、と言われそうですが、人間はそういった青臭いことを起点にして進化してきたように思います。
夢がなければ、先に進めない。夢だけでは飯は食えない。ただそれだけのように思います。

 

特に最近の綺麗事で包まれた隠蔽工作の数々を見てゆくと痛感してしまいます。
もんじゅや常陽は大丈夫なのでしょうか?
今までさんざんCMを利用して電力化を進め、綺羅びやかな未来を見せられたきたのは何だったのでしょうか?
こんな世知辛い世の中、せめて綺麗事だけでも言わせてくれ。ということなのでしょうか?

コメントする

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

トラックバックする

トラックバック用URL:

アニメーションが親切に解説されております

レンダリング、ライティングの基本が分かります

図版が見やすい美術解剖書です