雑記62 – 61の補足

普段考えていることを書き留めていれば良いのですが、頭の中に入れて後で書くことになるので、よく書き忘れます。
武田邦彦さんのページを紹介したときに肝心な事を書くことを忘れていたので補足します。

 

勝手に、養老孟司さんと比べておいて、なんですが、一元的に優劣を言うつもりはありません。
どちらも凄いと思います。
文句を恐れいているわけではなく、失礼に当たるかと思ったので書いておきます。

 

では、なぜもう一歩、という言葉が出たかというと、唯脳論という脳を基点にした考え方に由来します。
我々の考えていることは全て1.5kg程しか無い脳みそで考えられています。
いくら正確なデータ、といっても計測するのも解釈するのもその1.5kgの物質が操作しています。
だから極論してしまうと、正確なものなどこの世にない。という結論が導き出されます。

 

例で上げると、「きけわだつみのこえ」という太平洋戦争当時、主に学徒出陣した方々が書いた物を集めた本があります。
ただ、これが編集された当時はGHQの影響力、というよりも勝手にGHQに配慮する形であり、左翼思想により国家主義的、軍国主義的な部分が意識的に削除されました。
その後、生に近いものを編集しようとした動きもありましたが、原稿が失われていたり、個人の利権や思想が絡み、中々思うように行かないようです。
たかだか数十年前の事でもこの有様です。
数百年、数千年となれば、なおのこと酷い事は明らかで、神の手事件という、捏造事件があったことでも、正確な出来事を知ることは容易でないことは容易く想像できます。

 

そんな前のことでなくて、今起きていることならば大丈夫だろう。とテレビではコメンテーターの方々が仰ります。
しかし、個々の脳みそでバイアスがかかりそれを無意識でやっているので、やはり同じことだと思います。
およそ人間の脳みそではランダムということが創りだせません。
適当な言葉の羅列を想像していっても、いつしかそれは単語の組み合わせになります。
だから大人は子供の絵を描けないのです。大人よりも自然に近い子供が大人が想像できないことを考えるのも当たり前の話です。
結局考えても分かりません。

 

なんだか随分と話がそれました。
要するに脳という基点を持ってこられてしまうと、太刀打ち出来ません。納得してしまうし、府に落ちます。
それでいて、反発したくもなります。カードゲームでジョーカーを取られてようなものかと思います。

 

武田さんのページでは、ダイオキシンの無毒性、リサイクルによるゴミの増加や消費燃料の増加、その他様々実際のデータを載せながら丁寧に説明されております。
頭ごなしに報道を信じてしまう事の危険性を痛感します。

 

西洋の文化ではア・プリオリという概念が存在します。人によっては、頭ごなし、とまで訳してしまいます。
原理の説明であり、それが結局は原理に依存するようになり、原理主義となります。

 

物として片手落ちな人間の脳が、この世の中には片手落ちではないものが存在するはずだ。と考えて想像したのが、神だと思います。
片手落ちではない神は、片手落ちの人間の脳みそによって創造された。となるかと思います。幾何学と同じです。
起こった事象に対して単純な因果関係を結び、納得する。養老さんはそれを幸せな人。と呼びます。
個々には軽蔑や羨みは入っていないかと思います。ただ、単純にそれで納得出来れば人生それ程の幸せは無いだろう。というだけだと思います。

 

人間は植物と長い付き合いがあります。
種を掛け合わせて自分たちの都合が良いように作物を育ててきました。
それを品種改良といいます。
そして、近年では遺伝子というものを発見し、直接都合の良い遺伝子を組み込むことで更なる進化を求めました。それを遺伝子改良といいます。
分子生物学は神が行うのも人間が行うのも違いはない。と説明します。
しかし、前述のとおりに人間にランダムが作れないということは、人間の都合の良いように物事を解釈する、という事に繋がります。
自然の複雑さを幾何学で近似して、それを自然に戻すのはどうだろうか?と、個人的には思います。

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