雑記71 – 日本のゲームはつまらない!?

ここ数年同業の人と話をすると必ず出てくる話です。
ユーザーの方も、昔のようなゲームの買い方をしないかと思います。
無料のウェブアプリに行くか、ハードコアなゲーマーとなるか。二者択一、もしくはゲームはもうやらない。だと思います。
かく言う、自分もここ数年ゲームをしておりません。無料のものをちょっとだけやる。その程度です。

 

そんな自分がいうのも失礼な話ですが、その業界を通して日本のお国柄に迫ってゆくと面白いように思いました。
そもそも、なんか業界がおかしいな。という疑問から始まり、今の社会はどうなのだろう、になり、
経済を見てゆくと、米が出てきて、タネになった。これも一つの流れです。
世界三大穀物と呼ばれる、米、小麦、とうもろこし、地球に住む人間の多くはこれらを主食としています。
そして、それらは全て植物のタネです。
それらも含め、全てのことは人工化されて行く、所謂脳化社会というものをキーワードにしてゆくと分かってゆくように思います。
それと同時に、より煩雑化して多様化し、増えてゆく、という自然現象の一つでもあるかと思います。

 

その業界で生業を立てていながら、無責任な発言で誠に申し訳ございませんが、
日本のゲームが面白くなくなっている原因はいくつかあるかと思います。
そのひとつに、そもそもそんな物を作ろうと思っている人はいない。という答えがあるかと思います。
もちろん働いている人たちは真面目で、遅くまで仕事をし、一生懸命作っています。
しかし、どうも皆仕事を一生懸命するけど、面白いゲームを一生懸命作ろうとはしない。
ここには、役割分担の壁と価値観の多様性の壁が存在します。

 

以前、自分はその壁をどうにか超えられないものか、とやってみた時期がありました。
どうも一個人がどう頑張っても、自分の周りの人々との関係を良くしてゆくぐらいの事しかできず、そもそも業界自体、会社自体がなくなればその努力も水の泡です。
もちろんやり方がまずかったのだろう、と思いますが、仕事と白髪が無駄に増えるだけのように感じたので無理をするのをやめました。
恐らく自分がこのサイトをやっている理由の一つも、その無責任さに対する償いとでもいいましょうか、違う形で人の役に立つ、そんな気持ちがあるように思います。

 

そして、この壁は実はそれ以外の社会にも割かし普通にあることに気が付きました。
そして、原発事故で疑問が確信へと変わって行きました。
始めのうちは、日本の技術は優れているからメルトダウンなどそうそう起こらない。と高を括っていました。
報道により、次々に政府の発表が覆され、次第に現場の状況が詳しくわかるに従って、ゲーム業界と同じ力学が働いていることに気が付きました。
簡単に言ってしまえば、「言われたとこはきちんとやったがそれ以外は知らない。」というものです。
日本では良く見かける光景ですが、夜辺りを見回しても明らかに車がいない状態でも、信号機に従う人がいます。
海外では、昼夜関係なく、スキあらば横断しようとする人を見かけます。
もちろん、どちらが良い悪い、という話ではなく、日本人の真面目さ、誠実さの現れ、と解釈することも出来ます。
ちなみに、交通事故の絶えない5差路で、信号機をなくしたら交通事故が激減した。という報道を見たことがあります。
自分で考え、注意するようになった結果だろう。という話でした。

 

そして、もう一つには、現在のような圧倒的な情報量で迫るゲームの作り方に日本の風土が合わないのだと思っております。
限られた範囲で、何とかする。という方が性に合っているのだと思います。
日本の農家は地域によって、道具が微妙にカスタマイズされている、ということを昔書きましたが、農法も各々独自に工夫します。
それは、日本という南北に細長く、海に囲まれた島、という環境が産み出した、土地の多様性から来ているのだと思います。
養老さんがどこかで書かれていましたが、カナダでは、ホテルに泊まると図鑑のようなものが置いてあるそうです。そこには土地に住む生き物全てが解説されているそうです。
それは、1万5千年前まで氷の下にあった大地だから種の多様性が無く、可能なことであって、日本のように同じ虫でも200m離れただけで種が変わるような場所ではできない。
と、ありました。
その自然に対処するために知恵を働かせ、工夫を凝らしてやってきた。その工夫を凝らす、というものが近代工業で昇華された事により、
この狭い国土に多くの自動車会社や電機会社、ゲーム会社が多数存在するのだと思います。

 

また、司馬遼太郎さんはこんなことを書いていました、「自然が人間の肉体を虐めない所に神は育たない。」
これは景教という古代キリスト教が日本に入ってきていたという仮説を元にした小説に出てくる言葉で、一神教の宗教も日本に来て大避神社という、数あるうちの一つに神社に成り下がってしまった。
というお話に出てきました。
かつてはゲーム大国とまで言われましたが、そんな当時でも日本ではゲームはたくさんあっても、それに比べるとアプリケーションツールは殆ど無い、と言っても過言ではないかと思います。
その理由は上記の司馬さんの言葉に表されているように思います。
アプリケーションは、一つの明確な思想があって始めて出来ます。それに対して、かつてのゲームは発想を変えた、ちょっとした工夫で作ることが出来ました。

 

恐らくそれらが現在の日本のゲーム業界の現状なのだと思います。
しかし、無責任さ、というものは現在の先進国に満遍なくあるのだと思います。
そのあたりも掘り下げてゆくと面白いものが見えてきます。

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