雑記74 – 工夫を楽しむ日本の技術

以前工夫を凝らす、ということを書いて思い出しました。
前に紹介した司馬遼太郎さんの小説、「菜の花の沖」で登場する人物で工楽右衛門(くらくまつえもん)という人がいます。
この人は、元々船頭であり商人でもある人でした。
新巻鮭を初め、現代に残る発明品を数多く作り出し、「人として世の中の役立つことをせずに、ただ一生を漠然と送るのは鳥や獣に劣る」(wikipedia)
を信念として、それらの発明品を惜しげもなく人々に伝えたそうです。

 

物語中では、幕府の命で紀州産の巨大な木材を江戸に運ぶ際に、船に積めないので木材で筏を作りそれで江戸まで運んだそうです。
当時は北前船といわれるだけあって、日本の玄関は日本海でした。荒れた上に先の見えない太平洋は日本人にとっては範囲外だったようです。
地図で見ると、現在の日本は背を大きく反らせたように見えますが、当時は背を屈めて大陸にへばりつく格好のように認識されていたのかも知れません。
ちなみに地図を逆さにして中国側からそれを見ると、何とも邪魔な鍋蓋のようにも見えます。

 

松右衛門が発明した最大のものの一つに帆布が挙げられます。
同時は麻や筵を船の帆に使っていたようですが、これらは簡単に破れます。帆船に取って帆は命綱とも呼べる大切なもので、それが無くなることは遭難を意味しました。
松右衛門は綿を使い、更にそれを二重に織り込むことで西洋のキャンバスと同じような帆を作りました。
瞬く間に普及したそうですが、そこには松右衛門の精神が生きています。人のためになることに利益を追求しない。
現在でもその帆布はかばんの材料として使用されていますが、残念ながら権利の争いを繰り広げているようです。

 

そして、そんな彼に対して幕府は苗字帯刀を許し、色々な発明をする彼を表し、久楽という苗字を与えました、工夫を楽しむ。ということです。
何とも粋な計らいです。

 

日本の技術の裏付けになっているものの一つとして、人に対する思いやり、おもてなしの心があるように思います。
それらが行き過ぎると、余計な機能、大きなお世話、となります。自動で水洗するトイレがありますが、機械に流されないでも、自分で流します。と、言いたくなります。

 

どうも日本の技術、という物を論じるにあたり、工夫を楽しむ、という事は大きなキーワードであるように感じます。
日本の農業は多様性を極める土地で、鍛冶屋は土地により農具を調整し、農家は土地により農法を開発して行きました。
そして、皆が自分の方法が一番いい。と心ひそかに思っているようです。日本人だねぇ。と心中つぶやいてしまいます。

 

そんな日本に西洋文明が入ってきて、化石燃料を武器に画一化された方法でなされる技術に圧倒されました。
西洋では蒸気機関の発明と共に、近代化の幕が開き、産業革命が起こりました。それまで職人が一つ一つ作っていたピアノは工場で大量生産されるようになり、
一つ一つが違う音であるのが当たり前であったものが、全てが近似で揃うことが当たり前となりました。
そして、その流れはバウハウスにより規格化され、増々加速度増してゆきます。ナチスに追われるようにドイツを脱したバウハウスは、アメリカでMITと融合しました。
MITはアメリカの心臓部となり、工業社会という新たな文明をアメリカに広め、アメリカは世界の心臓部となってそれを広めました。
機能美こそが真の美である。清教徒がカトリックを否定したように、新たに始まったそれは、かつての装飾美を否定します。

 

現代、規格化された社会に生きる我々が物は揃っていて当然、といった考えを持つことも無理からぬ事だと思います。
分子レベルで違うと言われても、近似してしまうので良く観察しないと気がつかない。
だから個性を大事にする教育が行われるようになり、人の本質などという意味の分からないものが言われるのだと思います。
そう考えると、学級が崩壊するのも当たり前だし、それは内閣も同じ事であるように思います。

 

最近の政治の迷走を見ていると、かつて西ローマ帝国が滅びる際に、皇帝は自分の身は自分で守るよう言い放ち帝国は滅亡した、という事を思い起こします。
当時のローマ帝国では皇帝は選挙で決められるものではなく、人々に選ばれた人がなる、という手続きを取っておりました。
初代皇帝アウグストゥスが苦肉の策として行われたことが定式化したものです。
なので、気に入らない皇帝を排除する場合は殺す他に方法がありません。五賢帝後のローマ帝国は皇帝がしばしば変わりました。
既得権益層が自身の権益を守るために新たな皇帝を担ぎ上げる。という事が繰り返された為です。
要するにテーブルの上のものの取り分をお互いが主張していました。そして周りの国々はそんな争いをしている間に力を付けてきました。
その争いの中で、必ず票として必要になる民衆は小麦の無料配給の量の増加と配給層の増加、という利益を得たようです。
保証や給付は国の財政を逼迫します。それを補うために国は発行する貨幣の価値を低くし、多く流通させることでインフレが拡大します。負のスパイラルです。
塩野七生さんが書く所によると、発掘されるローマの遺跡から埋蔵金が出てくるそうです。
世の中が悪くなっても何とかやって行けるように、と考えたのでしょうか、発掘される遺跡から出てくる硬貨は純度の高いものが圧倒的に多いそうです。
どうやらそれを使う前に、彼らが野蛮人と蔑んでいたゲルマン人を始めとした他民族に襲われ、そのままになってしまったようです。
どうやら国が行う政策により、民衆からお金をとったり、経済を活発化させようとお金をばらまいたりしても大した効果は無いようです。

 

ああ、話が変わってしまいました。
しかし、人を思ってものを作る、おもてなしの心、そういったものが自然と日本に発生し、文化的なものになっている。
そして、それがこれからの時代を語るキーワードになってゆくと面白い、そんな事を思っております。

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