雑記80 – 確率の問題

どうも最近、以前は一部の人達しか関係の無かった確率の問題が身近なものになっていることを感じております。
量子力学ではコペンハーゲン解釈を得ることで、ミクロとマクロは関係しない。という結論に達しました。
放射性同位体が確率的に放射線を放出することと、ガイガーカウンターがそれを検知する過程では、すでに検出された段階でマクロな現象となり、
そのマクロな現象下に存在するものが受ける影響とは関係がない。ということです。

 

上記のことが分からなくても問題はありません。
恐らく、当事者もよく分からないから、それは関係ないんじゃない。ということでそうなったのだろうと思います。
しかし、現実世界には相転移、という現象が存在します。
これは、水が0度を下回ると凍ったり、100度を超えると蒸発したりする現象を指します。
そして、鉄が磁気を帯びたり、絶対零度付近で物質が超電導になる事も同じ現象です。
これらの現象は個々の分子の持つ運動の対称性を自ら破り、周りに同期して起きる現象です。
磁気で言うと、それまでバラバラな磁気モーメントを持つ鉄の分子が、磁石を近づけることにより、その磁気モーメントの方向性が大体揃い、
そのミクロな現象が鉄が磁気を帯びる。というマクロな現象になって表れます。
どうやら、人目が気になるのは人間だけではないようです。

 

さて、確率の問題です。
原発事故により、死の灰というものが、以前は漫画の中だけの話だったものが、我々の身近なものになりました。
これにより我々はどういった影響をうけるのでしょうか?
現状言えることは、やはりコペンハーゲン解釈と同じで、良く分からない。だと思います。
もちろん、だからといって無理に被曝することも無いかと思います。
放射線が我々生命に対して大きく有害であったから、それを遮蔽する大気が出来る以前は生命は栄えませんでした。
そして、大きく被曝した人たちが辿った運命も知ることが出来ます。

 

しかし、ここは一つ、人が生きる。という点に絞って考えてみたいと思います。
確率の問題で言うと、生きている人が明日死ぬ確率は50%です。以前天気について書きましたが同じ事です。
生きている状態、死んでいる状態という2つに分けるのであれば、明日どちらの状態であるか、という確率は50%です。
さらに今風に言い換えると、大抵の場合99.9%と言っても過言ではないかと思います。
要するに99.9%とは50%でもあり、0.1%でもある。ただし、0.1%である確率は99.9%無い。ここまで行くともはや意味が分からない。

 

それについて、古代ギリシャの哲学者、エピキュリズム(快楽主義)で知られる、エピキュロスがこんな事を言っております。
「生者にとって生きている限り、死とは現に存ぜず、死者にとって死とはすでに存ぜず。その認識が可死的な生を帰って楽しいものとしてくれる。」
要するに、生きている限り死んでいないし、死んだらそれは過去なんだから考えても仕方ないんじゃない?という事だと思います。
そして、彼が快楽主義と言われる所以は、
「苦しみが取り除かれること、これが快の量の限度で、それ以上は増大すること無く、快の質が多様化するだけだ。」
ということです。快楽主義、という語感から随分離れている。しかし、快楽という言葉を分解して考えると納得できる。
彼は膨大な著書を残したそうですが、現存するものは殆どありません。幾つか面白い言葉があるので、書いてみます。
「君が途方にくれて困っている限りは、それは君が自然(自分の体)を忘却しているからである。というのは、君は自分でわざわざ不確定な恐怖と欲望を作り出しているのだから。」
「万物は必然によって生じる。と主張する人は、そうでないと主張する人を非難することはできない。前者の主張では、後者の主張それ自身が、必然によって生じているはずだから。」
「僅かなもので十分と思わない人、少なくともこのような人には、十分なものは存じない。自己充足はあらゆる富のうち最大のものである。」
「明日を最も必要としないものが、最も快く明日に立ち向かう。」
うーん、二千年以上も前に、随分と書いてくれます。読んでいて楽しかったです。
また、彼は人生において、哲学こそが至上のものである。という信念に生きていました。
弟子に送った手紙の中では、羊飼いに一頭の羊を貰い、その御礼として哲学を教えた。と書いてあります。
勝手な想像ですが、その羊飼いの困った表情を想像してしまいました。

 

古代ギリシャの哲学者と、中世の哲学者では色々な面において、質が違うことが分かります。
しかし、一点全く変わらないところも存在します。それは、魂という明確に変わらない物を定義している点だと思います。
体というハードウェアと魂というソフトウェアが存在している。現代風に言うと、そのような事が言えるかと思います。
そして、現在の脳科学が直面している事実は、それらはお互い関連している。という事です。
人格が違うのは、ソフトの問題だけではない。ニューロンが作る、セルアセンブリ(細胞集成体)という要素が深く関わる。

 

大分話がそれました。
どうも最近の政治家の議論を聞いていると、損得勘定だけで話が進められているように思います。
政治の問題も同じ事で、明日のことは分からない。やってみなければ分からない。ということだけが明確に言えることです。
そもそも、政治家になって世の中が変えられる。とか、そういった人達に一票投ずることで世の中が変わる。などといった絵空事を頭から信じていないので、自分が理解出来ないのも当然です。
今の政治が大変であることは想像できます。メディアが発達し、直ぐにそれらが編集されて流されます。恐らく意図しない形で。
しかし、今の政治、経済の状況というのはどうなのでしょうか?
自分は遅れて地デジに対応したので、その境目を見ることが出来ました。今まで普通に映っていた映像が砂嵐になります。
新たに配線をしてもらうことで、再びテレビが見られるようになりました。しかし、ブラン管テレビはいずれ捨てなければいけません。テレビを見るためには。
まだ物理的には使えるものを捨てなければならないのに、子供たちにどうやって勿体無い。という概念を教えればいいのでしょうか?
思えば、日本は民主主義社会と言われていますが、少なくとも自分は地デジに賛成した覚えはありません。
ここまでインターネットが発達した世の中でテレビに画質や双方向の通信を求める人はそんなに多いのでしょうか?
そういった疑問は、スカイツリーは日本の技術の結晶である。という言葉でもみ消されたようです。

 

そういえば、以前ヨーロッパで核廃棄物についての話し合いが行われました。
そこでは、廃棄物処理場をどうするか?という事が話し合われたようです。数万年後、我々の子孫に当たる人々がそれを見つけた時、目印となるものがあると、掘り返そうとするのではないか?
という事を真面目に話し合ったようです。
そんな先のことを気にするのがバカなのか、そんな先のことを気にしなければならないものを使っているのがバカなのか。ここまで来ると良く分からない。
原発推進派の人たちが言う、発展に欠かせないもの。というのはそういった事を度外視しています。
24時間電力を使い冷やし続ける必要があり、増えることはあっても減ることはない。それだけとっても馬鹿馬鹿しいものであることが分かるかと思います。

 

しかしそれと同時に、自分もそうですが、こういった形で小さな発信が多くなる。
それが良いのか悪いのか、それは人それぞれの価値観で、そうなっちゃう。というのが本当のところなのではないでしょうか。
自然はしばしば増殖する。それは仕方がない。
まぁ、いっか。と、詰まらない落ちを付けてみます。

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