雑記18
前回、落ちのような部分を書き忘れました。
都市は自然物を排除することによって成り立つと同時に、
そこにある最大の自然物は自らの体である人体、ということになる、という話でした。
人工と自然、脳と遺伝子、という対比ですが、これは色々なものに適用して考えると納得出来る部分が多いです。
さらにそれをさかのぼると、文明の発祥自体がすでに都市化である、という論になります。
中国の儒教が言う、五徳やフランス革命で唱えられた、自由、平等、博愛、などはその文明に
無いものが、必要だからと、わざわざ口にだして言われたのだろう、という話だったかと思います。
そして、それらが無い日本という国は村社会というものがそれを補っていた、と養老さんは考えていたようです。
かなり端折りましたが、だいたいそんな感じだったかと思います。
現在の日本では、村社会が衰退しています。
村社会の弊害は個人が考えなくなるようになることだと思いますが、それにより救われていた個人もいることを考えると、
どちらが良いのかなどは、誰にも言うことはできないのかと思います。
知識人は現代を批判します。
どうやらこれは古今東西変わらないようです。
養老さんも、まぁダメだろう、というようなことを良く書いているかと思います。
司馬遼太郎さんも亡くなる間際は、このままでは日本がダメになる。と書かれておりました。
日本というだけでなく、現在の文明がまずいことはすでに明らかなように思います。
平均して千年に1種の生命が絶滅していたのに対し、ここ数百年では年に4万種だそうです。そのペースは間違いなくさらに加速しています。
アウストラロピテクスは250万年繁栄した、と言われておりますが、我々ホモ・サピエンスはまだ20万年に過ぎません。
文明は高度に発展した、といっても文字が使われるようになって、数千年です。
数年前にどこかの記事で読みましたが、その時点で、ここ数年人間が使用した情報量は、人間が文字を使い始めてからそれまでに
使用した情報量を凌駕した、と書かれておりました。
粘土板に楔文字を彫るよりも、キーボードでタイプしたほうが早いですし、スパムメール等の人間が作ったというのも微妙なものが
その中に含まれるのだと思います。
自然に属する遺伝子は、交配によって二つのものが一つになる道を選びました。
それにより、乱雑さが増大し、カオスを生みます。どうやら自然というものは乱雑であり、尚且つ安定である。という定理が成り立つように思います。
それに対して、統御を求める人間の脳は、幾何学的であり、原理的であるように思います。
それらが合わさったものが現代の情報量のように思えます。
何を書いているのか分からなくなりましたが、次回は日本という国について勝手に書いてみようかと思います。
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