雑記2 – Sculptris -06

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どうもCreaseを使って筋肉や皺を作るのは楽しいのですが、やりすぎます。

顔はイラストっぽいのですが、体はそうでもない。という変な状態です。

特にどうする、というあてもないので、まぁよしとします。ただの落書きですね。

 

さて、タイトルにもあるとおり、雑記を書いてみたいと思います。

日頃の疑問を吟味してみようか、というだけです。

 

物を認識する際に重要な要素の一つに大きさ、というものが挙げられるかと思います。

果たしてこれはどう言ったものなのか、考えてみました。

 

以前娘とジェットコースターに乗りました。個人的には好きではないのですが、

子供用の小さなものなので、仕方なく付き合いました。

 

待っている間に備え付けられた柵を何気なく見ていて思ったのですが、この柵一つ一つは

垂直に等間隔で綺麗に作られている。それは本当だろうか?と、ふと疑問に思いました。

 

思えば地球は少し楕円の球状で、柵の長さを数万キロ延長すると、そのほぼ中心で交わるはずです。

そうなると、垂直な柵、というよりも放射状の柵。と表現したほうが厳密ではないだろうか?と思いました。

しかし、誰も放射状に建った綺麗な建物だ、とは言いません。そんなことを言うと頭がおかしい人だと思われます。

 

本当に厳密にやろうとすると、柵のどの位置が地球のどの位置に対して直角であるのか求める必要があります。

どうもそれは無理のようです。

 

ユークリッド、という紀元前のギリシア人はその著書「原論」において、「点とは部分を持たないものである」「線とは幅を持たないものである」

と定義し、幾何学の定理をまとめあげました。

これは、同じく紀元前のギリシア人である、ゼノンが作り出した逆理を封じ込めるためだ、と言う人もいます。

 

ゼノンの逆理とは、俊足のアキレスと鈍足の亀が競争をする。という話です。

アキレスは亀にハンディを与え、亀の後方からスタートしました。アキレスが亀の元いた位置に追いつく頃には、亀は少し進んでいる、

その位置に追いつくと、再び亀は移動している。と、無限に続き結局亀に追いつくことはない。というものです。

 

これは無理数を発見したピタゴラス学派にも言えることですが、運動というものを幾何学に持ち込むと無限が生じます。

 

どこかで読んだ記憶がありますが、古代ギリシアでは板の上に砂を乗せて、木の棒でそこに図形を書いて幾何学を行っていたので、

問題にならなかったのでは。という人もいました。これは大きさの問題である。ということです。

パピルスが一般化し、より細い線が書けるようになると、線の幅、点の大きさが気になる。という事のようです。

 

どちらが正しいのか知りませんが、どちらも同じだと思います。

その後ライプニッツとニュートンにより、確立された微分積分により、近似値という道具を使い、人間は無限を克服したかに見えました。

しかし、言葉の通り近似です。近く似かよっているだけであり、そのものではありません。

面白いことに、その近似値で意外とうまくゆきます。柵の垂直でもそうですが、厳密に垂直でなくても物は立ちます。

そもそも厳密な垂直など測れるはずはない。ということではないでしょうか?

 

無限の話はCGでも出てきます。

CGでは球や円を描く事ができません。3DCGで限定して言うと、ポリゴンはどこまで細分化しようが多角形です。

それを克服するために生まれたのか知りませんが、ナーブスというものがあります。

これはベクトル、方向性により線を表現したものです。

ただ、ここでも微分の問題がでてきます。そうでなくても、モニタがドットです。

プリントしてもドットです。

 

近い将来、「我社のプリンタは分子レベルで染色しているのでドットがありません」と真顔で言われるような気がします。

 

要するに大きさだと思います。

そもそも人間の脳が外界の理解を深め、それを取り入れているのでしょうか?

それとも自然という外界から派生した人間の脳はその範囲内で理解を深めようとしているのでしょうか?

前者であれば、無限に対し無限大に近づく、ということで、後者であれば、無限に対して無限小に収束する。

となりそうですが、いかがなものなのでしょうか?

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