雑記28

前回の「アメリカン・デモクラシーの逆説」にあった、ゲーテッド・コミュニティとスーパーキャピタリズム(超資本主義)について書いてみようかと思います。

 

まずは、ゲーテッド・コミュニティというものですが、名前のとおりゲートで区切られたコミュニティ、街の事です。

ガードマンによって24時間守られた空間で、少しくらい高くても安心を得たい人たちに好評だそうです。

さながら中世ヨーロッパの都市のようだと、ありました。

ローマ帝国崩壊後のヨーロッパは様々な民族が入りみだり、戦争、略奪が散発的に起こりましたが、

民衆はそれらを防ぐために高い城壁に囲まれた都市に住みました。そういえば中国も同じように都市をまるごと囲ってしまう形で都市を建設します。

 

日本では城下町は堀の外で、戦争はあくまでも市民階級の一つである侍が行うことで、

民衆は関係ない、という独特のスタイルです。もちろん民衆の家々は焼き払われますが。

 

アメリカのゲーテッド・コミュニティは犯罪者がいない代わりに、近所の付き合いがなく隣近所に対して無関心だそうです。

そういったことから、徐々に犯罪が起きているようですが、一部の人達はそのコミュニティ内部にさらにゲートを設け、その中に暮らすそうです。

もちろん料金は上積みされます。

 

そういえば、養老さんがどこかで書いておりましたが、日本の家屋にある塀についての考察をしておりました。

海外ではそもそも塀というものを見かけることが少なく、アメリカなどでは道があり、芝生があってそのまま家まで続きます。

アジアの一部では明確に泥棒を避けるために、頑丈で高く塀の上に刺が付いている壁を建てるそうです。

それに比べると日本のものは外敵を避けるためとしてはほぼ意味をなさず、これが表すものは日本人の家族観を表している、というような事だったかと思います。

 

西洋に置いてはプライベートの最小単位は、個人になるが、日本においては家族がそれであった、というようなものだったかと思います。

それが今では西洋化が進み、個人になりつつはあるが、その変換によって出来る軋轢に耐えられるほどの精神的な物、思想的な物が無いことを問題視していたように思います。

 

自然発生的なコミュニティの消失、人工的なコミュニティの出現。

日本では警備会社が家事もろもろの手伝いをするそうで、コンビニが店としての機能ではなく、治安維持に活用されたりしているようです。

たくさんの無駄なエネルギーが消失しているように思います。

 

そして、スーパーキャピタリズムですが、現在アメリカでは大手資本が旧来のメディアである新聞、テレビの報道機関を買収しているそうです。

日本でもそういった会社の株価は携帯電話のゲームを作っている会社よりも相当低いです。

そういった報道機関は株主の意向に背くわけにもゆかず、報道自体に手を加えられることもあるそうです。

そしてまた、大資本家はその他様々な業種の買収を行い、物流も押さえてゆきます。

物流を抑えられると、生産者は言い値で売らなくてはならなくなり、疲弊してゆきます。

 

アメリカが嫌う左翼的全体主義が皮肉にも資本主義によって行われている事を指摘します。

スーパーで買物をしているときにふと思いましたが、プライベートブランドが棚を埋めています。

50年くらい前の人がタイムスリップしてやってきたら、この状況を見て、日本は共産主義国になったのか、と勘違いするのではないか?

と妄想した事がありました。同じことかと思います。

 

どうも現代の制度や政策で行われることは人工的であり、コンクリートによる治水工事に似ている気がします。

コンクリートは10年もつが維持費がかかるだけでなく、生態系を大きく変えることになり、結局より大きな災害をもたらします。

そのあたりの事を書いている本がありましたが、文明を船に例えていました。

小さい船は波が大きかろうが小さかろうが、大きくゆられますが、巨大なタンカーは小さな波には揺られない代わりに大きな波を側面から受けると

大破することがあります。

 

マキャベリが君主論で指摘するのは、ローマ帝国の植民兵制度です。

日本で親しみがある言い方では、屯田兵です。

ローマ市民で形成される軍団兵は20年の勤務を終えて、退職金か土地をもらい辺境の地に移住します。

兵士であるとともに工兵でもある彼らはそこで街を作ります。

一つの軍団は完全独立の組織で、様々な職を持った人がいたそうで、そのまま一つの街ができます。

30後半から40半ばの年齢の人たちが、第二の人生を地元の女性を娶って過ごしたそうです。

 

そうすることで、自然と地域になじむだけでなく、軍隊を直接置くわけではないのでお金も掛かりません。

制度として行われていましたが、ローマらしい一石何鳥もの効果が現れていたようです。

 

マキャベリの生きていた当時、イタリアは傭兵での戦争を当然としていて、その人任せな制度を批判します。

フィレンツェにおいて、市民による軍隊を作ろうとしましたが、結局失敗に終わります。

傭兵による戦争ごっこに明け暮れていたイタリアはフランス、スペインの本当の戦争をしてきた人たちにあっさりと負けてしまいました。

 

どうも、良い制度というものはローマ的であり自然の流れを利用する方向があり、悪い制度というのは人工的で流れを無理に制限しているように見えます。

かなり贔屓が入っていますが、、

 

しかし君主論を読むと今の政治家はそこに書いてある、してはいけないことばかりをしているように見えます。

最もメディアが発達し、そもそも日本の政治は一部の大人が部屋に閉じこもって、していたことを習わしとしていた国では、どちらにせよ大変だろうなぁ。

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