雑記30
先日紹介した「ローマ人の物語」について、補足します。
著者の塩野さんが書かれているように、一人の人間が書く通史は偏りがちになるが全体像を把握するには一番いい。
と、ありました。
本を読むと分かりますが、この方は古代ローマ人に惚れ込んで書いております。
なので、全くないわけではありませんが、古代ローマのよろしくない制度については余り言及されておりません。
なので、より一層の理解を求めるのであれば、その他の資料も必要となる事はもちろんです。
しかし、ギリシア、ローマを否定するキリスト教はローマ帝国滅亡後それらの大半を破壊してしまいました。
近年では史料的な理解よりも考古学的な理解により、古代ローマが再認識されております。
しかし、デッサンを学んだ人はおなじみだと思いますが、石膏デッサンで使われる石膏は皮肉にもギリシア、ローマの物が大半です。
ルネッサンス期にミケランジェロを始め、当時の美術を再認識する熱が高まりましたが、時すでに遅し、という感じでしょうか、
壊されているものが大半を占めるようになってしまったことは残念なことです。
そして、塩野さんという方は現在フィレンツェに住む女性で、養老さんがどこかで書かれておりましたが、同い年だそうです。
終戦時に小学二年生であった、彼らは昨日まで学校で教えられていたことが、今日になり全てが間違いであることを宣告され、
物資の乏しい中、そのままの教科書を使い、世界が変わり教科書の間違っているとされている部分を墨で塗りつぶして授業を行ったそうです。
なので、この世代の人達は共通するものがある、と書かれておりました。
年端も行かない、教えられることが全てである時期に、全否定されることで世の中に対する見方が変わった、とあります。
それ以上上の年代になると、戦時中の雰囲気を残し、それ以下になると現代的な雰囲気になるそうで、世代はかなり限られているそうです。
塩野さんもどこかで書いておりましたが、ご自身をへそ曲がり、と書いていました。養老さんはひねくれ者です。
なるほどなぁ、と妙に納得してしまいました。
お二人の本を読むと、つい同じような反応をしてしまいます。恐らく人がいないところであれば爆笑しているかと思います。
ちなみに塩野さんの面白い本ではこんな物もあります。
残念ながら絶版となっております。
読んでいて思わず仰け反ってしまう面白さです。
イタリアで共産党が選挙によって連立与党になり、共産党が掲げる暴力による革命なくして政権を握った当時、
フィレンツェでは至る所で赤い旗が翻り、不思議に思った著者が取材を始め執筆したものです。
そのなかで、呆気無く喝破しておりますが、共産主義というものは宗教でしか無い。と書かれております。思わずのけぞります。
しかし、よく良く考えてみると日本において、選挙時期以外にポスターを見かけるのは共産党ともう一つくらいであることを思うと、納得させられます。
さらに面白いのが、社会党というものはどこの国でも変わらず、センチメンタルな理想主義者の集団でしか無い。と言いきります。
イタリア共産党が政権を取った際にも連立与党として入閣しますが、与党にあって野党のように振る舞い、政権運営を省みず理想を追求し、政府を混乱させる。と、あります。
あぁ、なるほど、心当たりがあるような。
あくまでも一つの見方ですが、それによって今まで分からなかったことが、心情的に妙に理解できたりします。
報道などでは難しい言葉で埋め尽くされて、感覚的な理解に及ばない事が多々あります。
結局人間が行っている事なので、そんなに奇想天外なことはありません。そういったことを教えてくれる、という意味では君主論や孫子の兵法に通ずる部分があるかも知れません。
そういえば、孫子の兵法といえば、稀に誤訳(?)を見つけます。
敵を知り己を知る者は必勝まちがいなし。と、極端なものはここまで言い切ります。
孫子が言わんとしている事は、敵を知り己を知る者は百戦危うからず。と、百回戦っても危なっかしくは無いよ。と至極つまらないことを言っています。
しかし、これもいかがなものかと思います。
太平洋戦争当時、太平洋に浮かぶ島を占拠した日本をアメリカが追い出しました。
そのなかで、アメリカ軍が日本兵の宿営地跡を見て日本兵の数を概算したそうですが、実際の兵力の三倍を見積もったそうです。
数の根拠となったものは、大便の量でした。
肉食のアメリカ人に比べ、草食の日本人は大便の量が多かったようです。
それに加え、当時のアメリカは偵察部隊であろうと、現地で食料が調達できるように宿営地に畑を作り芋を栽培していました。
皮肉にもその畑に助けられた日本人もたくさんいます。
知る、ということは情報の取得とそれの解釈、と分解することが出来るかと思います。
この場合大便の量、という取得された情報は間違ってはいなくても、解釈の部分で違いがあったのかと思います。
その解釈の大元にある部分が思想であり、当時のアメリカは非常に慎重に物事を進めていた事が理解できます。
それも、養老さんに言わせれば、当時のアメリカは良いとは言えないが、日本よりはまだましだった。となります。
頭の上に焼夷弾をさんざん落とされたのだから、それはそうなります。
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