雑記31
ちょっと間が空きました。
次の切り口をどうしようか悩んでおります。もっともそんなことよりもCG作れよ。という話なのですが、何となく気がのらないのでこんな感じです。
そもそも自分が考えたい一番のことは日本の技術、という事です。
未だ知識と感性が至らないので、中々うまくまとめられずにおります。
そのままの切り口から中途半端に展開してゆくのも、考えがまとまりそうな気はしますが、その前に立ちはだかる近代的なものの見方、という部分で躓いております。
あまりにも近すぎて良く見えない。ということでもあるかと思います。
その近代的な見方、というのは以前紹介した養老さんの「いちばん大事なこと」で詳しく書いてありますが、
要するにキリスト教と自然科学というものは反対のベクトルではあるが、同じ軸で逆さまなだけであり、その軸こそは人間中心主義に立脚している。ということです。
人間が知覚し、解釈する。ということだと思います。
人は何かしらの事が起きると原因を探ります。因果関係、とも言いますがその見方があまりにも単純であることを指摘します。
抗生物質の発明により、結核が少なくなっていった、とされておりますが、その後抗生物質が発明される以前からその後の統計を丁寧にとった人がいるそうですが、
抗生物質が発明される以前にすでに結核患者の量は減少傾向にあり、発明後も大きな変化なく減り続けていたそうです。
近代的な考えでは、何かによってそれが改善された。と考えるほうが楽だからだろう。と指摘しております。
現代社会に置いて、サプリメントに頼る人は多いかと思います。
以前テレビで見ましたが、謳われている成分が全く含まれていないサプリメント、というものを取材していました。
研究段階では成功したものが、工場のラインに乗せて生産したら成分が破壊されていたそうです。
それは関係ない話なのですが、そもそもその成分がどれだけ良いのか、という検証は長くても数十年のスパンに置いてしか研究されておらず、短いものでは数年だと思います。
それを生成する際に発生するであろう他の成分はむしろ毒かも知れない事もあるかと思います。
中世ヨーロッパでは宿り木を煎じて万病薬として服用していたそうです。
木に寄生して生える木には寄生している木の生命が乗り移り、生命力がとても豊富だ、と思われていたそうです。
新選組の土方歳三は石田散薬という傷薬を売り歩いていましたが、隊士たちにもそれを服用させ、とても評判になったそうです。
後に科学的にその成分を計測したところ、毒にも薬にもならない。ということが判明したそうです。
司馬遼太郎さんは、土方という男が持つ説得力が隊士たちに効いたのだろう。と書いておりました。
サプリメントと大差が無いように思えてしまいます。
さらに、一人の人間自体がすでに生態系である、ということを指摘しておりました。
腸内には多くの細菌が住み着いております。腹の具合が悪くなるのはそれらの環境が何かしらの変化によって起こることで、その腹の持ち主の責任だけではない。
自分の体は自分のものだから好きにして良い。という発想自体が近代的なもので、現在の環境破壊に繋がっていることを指摘します。
そういえば、どこかで読みましたが、人の体に住みつく細菌類は元々外敵であった、という事を読んだ記憶があります。
より多くのエネルギーを得るため、宿主を殺してしまっていたものが、学習したのか知りませんが、取得するエネルギー量を減らし、宿主と共存してゆく道を選んだ。
というものでした。
現在の地球のようです。
人によってはすでに6度目の絶滅期に突入している。という人もいます。
しかしすでに地球は5回の絶滅期を経験し、そのたびに生命体の90%が死滅した、と言われております。
なので、人類が滅びようとも地球から見れば大した問題ではない。とも言うことができます。
地球では絶滅を繰り返すことで、生命は多様化していったようです。
そして、今流行のエコに対しても疑問が生じます。
日本の省エネ技術というものは、日本特有の文化でもある「もったいない」という所から発祥している、世界に誇れるものだと思います。
しかし、これも先日テレビで見た話ですが、ブラウン管は再利用を考えずに生産されたものだそうです。
将来的に再利用が出来るようになるだろう、という今の原子力発電所と同じ発想で作られていたそうで、実情はまだできないだか、コストがかかるだか忘れましたが、
日本で捨てられたブラウン管テレビは東南アジアの国に売られ、そこで修理されて使われているそうです。
さんざん使い倒した挙句、映らなくなると川べりに捨てるそうです。
やがて朽ち果て、有毒物質を川に流します。それが太平洋に出て、黒潮に乗り再び日本に帰ってくる。というものでした。
テレビの話なので、それが全て本当である。と解釈してしまうのは問題あるとは思いますが、現実的な事を考えると、十分にありえる話だ。と思いました。
車に対して、補助金や減税を行ったりしています。
その車の廃棄に対しても同じような問題はあるかとは思いますが、それらの政策を簡単に言うと、国民から等しく集めた税金を、車を買う人にあげる。ということでもあるかと思います。
しかし、その貰う人も、その制度がなければ買わない、というのであれば、その言い方も間違っていることになります。
では誰のため?となると、自動車を作っている会社が確実に儲かる、ということだけは確かだと思います。
宣伝ではいかにも庶民のため、のような語り口調ですが、個人的には斜に構えて見ております。
そして、それらの大手企業は円高によって不当の損益を被っているそうです。ここでもやっぱりお金を寄越すよう、政府に働きかけます。
じゃあそれ以前の不当な利益はどこにいったの?と聞いてみたくなります。
大分話がそれました。
要は経済という実体のない物が、自然という実体を破壊している事を養老さんは指摘しています。
我々も体内に住む細菌のように共存の道を見つけることが出来るのでしょうか?
どうにも技術の話とは全く関係無くなりました。ついでに筆が滑りすぎました。
うーん、次こそは技術の話に切り込めるのかなぁ、、
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