雑記38

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modo501の日本語版がまだなので、気晴らしに象を作ってみました。

皺を描くのは楽しいのですが、やはりだんだん重くなってきます。

このあたり、ZBrushではまだまだのレベルですが、GPUの描画に頼っているツールでは厳しくなってきます。

modoのマルチレゾリューションも100万ポリゴンくらいなんだろうなぁ、と勝手に踏んでいます。

もう一桁、と言いたいところです。

 

さて、絵画についてもう少し書いてみます。

授業中にあった、やりとりでとても印象的なことがありました。

学生が描いた風景画に対して先生があれやこれやと講評をする時の話です。

 

空と海だけが描かれたものがありました。

そう書くと何の変哲も無いことですが、水平線が湾曲しあたかも球体の一部のように描かれておりました。

それを見た先生と学生のやりとりはご想像の通りかと思いますが、そう見えた、そうは見えない。というものでした。

 

それを見ていた自分としては、どっちもどっちだ。と半ば呆れた気持ちで見ておりました。

 

ここに潜む問題はもっと本質的なことにあります。

その本質は地球が丸い、といった類のものではなく絵を生業としてゆくには、と言ったところにあるかと思います。

絵を描くことを生業としてゆくには、買い手に買ってもらえる絵を描かなければなりません。

恐らく先生が本質的に言いたかったことというのは、水平線を歪めてしまうと絵としてのバランスが崩れ、見ていて心地悪いと感じる人が多い。

よって、その絵が売れる可能性が低くなる。と言った感じかと思います。

特にアカデミックな絵画というものは幾何学的な要素による部分が多く、さらにその中でも直線による部分がとても多いものです。

 

それをさらに掘り下げてゆくと、失礼ですが決して裕福に見えない先生方は描いた絵を売ることだけで生計が成り立っているのか。という疑問も生じます。

ここまで来るとようやく本質にたどり着けます。それがその人の生きる道だから。

 

前衛的な芸術と呼ばれるものは、ルールがありません。

概念を壊すこと、全く性格の違う概念を一つの人格を通して繋ぎ合わせること、などの操作を経て出てきたものが現代美術なのだろう。と個人的には思っております。

自分と他者、過去と現代、絶対的な物、あるいは相対的な物が基準にありようです。

 

しかし、どうやら人の生きる道には基準がありません。

絶対的なものから、相対的なものになり、不確定性原理に行き着く。どうも物理の歴史も美術の歴史も似た様な経路をたどっているように思います。

量子論の本を色々と読んでゆくと度々仏教が出てきます。まぁ、そうなっちゃうよね。と思いながら読んでしまいます。

 

さて、さらにしつこく掘り下げてみたいと思います。

では、なぜその道を選んだのか。というものです。

 

以前ビュリダンのロバ、という話でも出しましたが生命というものはどうも大抵重みを持っているもののようです。

少し前にどこかの記事で読みましたが、魚や猫にも利き腕と言いましょうか、利き方向があるそうで逃げる方向や、驚いて手を出す腕が統計的に決まっているそうです。それが重みです。

それがなぜ決定されているか、という話になると宇宙の起源にまで遡ってしまい、CP対称性の破れがあったからだろう。となってしまいます。それが何故あるのかは分かりません。

 

人間に関して言えば、その人が歩んできた道において、何かしらの重み付けされたものがあり、それが積み重なって現在がある。あっちゃった?

どうも歴史を叙述する人、というのは極度の重みを持った人のように思います。マキャベリ、司馬遼太郎さん、司馬遷、数え上げれば枚挙に暇がありませんが、

その重みが彼らをして、筆を取らせるきっかけでもあり、錘でもあるように思います。重みだけに。

そういえば、養老さんもそのようなことを書いていたことを思い出しましたが、オチの部分しか覚えていません。

性的なものに極度の重みがある人を助平と呼ぶのだろう。といった具合だったかと思います。

 

どうも近代的な文明というものは、その重みという衝動を動物的な物、として排除する傾向が強いように思います。

意図せず生まれて、意図せず死ぬのに。だから色々と不都合が起きているんじゃないの?この辺りも養老さんがどこかで書いていることを勝手に書き換えているだけですね。

 

うーん、どういった事を書こうとしていたのか忘れました。

そういえば、絵画といえば動物の認識力の実験で面白いことをしている人がいました。

20羽の鳩を10羽ずつのグループに分けて、片方にピカソの絵を見せ、もう片方にモネの絵を見せます。

見せたときに鳩が鳥かごを突付くと餌をやるようにしたそうです。根気よく続けていると、統計的に見て鳩が理解していることを示します。

その後同じ画家が描いた違う絵を見せても、やはり反応するそうです。

面白いことにピカソグループの鳩は、ブラックやマチスに対しても反応するものもあり、モネのグループではルノワールやセザンヌに対してやはり反応するものがあるそうです。

しかもモネグループの方は同じ絵でも逆さまにすると反応が無くなるのに対して、ピカソグループでは逆さまでも反応を示すそうです。

人間だけが特別に認識力が優れている、というものではないようです。

それとピカソの絵を見て「俺には芸術は理解出来ない。」というのはどうも生理学的に正しいことのようです。

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