雑記4 – Sculptis -08
東洋人の女性をしばらく進めていたのですが、どうにもよろしくならなそうなので、
気晴らしに写真を見ながら西洋人男性を作っております。
元があると難しいですね。西洋人の骨格の綺麗さを痛感させられます。
作業をしていたら、書こうと思っていたことを忘れました。
ただ、西洋文明的と書いたことはちょっと訂正が必要です。
近代的、と表現したほうが良いかと思います。
西洋文明化、というのはほぼ近代化、と言っても間違いではないかと思いますが、
近代化は必ずしも西洋文明化ではありません。
では、その西洋文明がいかにして出来上がったのか、ですが、
古代ギリシアをその発祥とする。という記述を良く見かけます。
その古代ギリシアはエジプトに影響を受け、エジプトはバビロニアに影響を受けました。
ギリシア人はエジプトに出稼ぎに行き、建築に必要な幾何学を学んだそうです。
エジプトと言えば、エジプト考古学者の吉村作治さんが有名かと思います。
以前その方の本を読んだときに、今から2千年後に人類が現文明を発掘したらどう思うだろう?
という事を書かれていたかと思います。さすがに考古学者です。着眼点が違います。
それには、毎日狭い箱の中に積み込まれて仕事場に向かう現代日本を、奴隷制度だったのでは?
と思われても仕方がないのではないか?といったことが書いてあったかと思います。
確かに局部的に見るとそう言われても仕方が無いようにも思えます。
ただ、そこまで発掘できれば、もっと分かるだろう。とは思いますが。
そして、皮肉なことに古代エジプトでは奴隷がピラミッドを作ったのではない。ということが証明されたようです。
元々は奴隷と思われていた労働者が住んでいたところから、鳥や羊の骨、ビールを入れていた壺が見つかったことがきっかけだったかと思います。
さらに調べてゆくと当時の記録が見つかり、その中の出勤簿から奴隷ではないことが判明したそうです。
休みの理由に二日酔い、などがあったそうです。
ピラミッドといえば、面白い仮説を立てた人がいました。
あれは、公共事業であり、神殿であり、堤防だったのではないか。という説です。
公共事業というのは前述の通りですが、どうも休耕期の仕事のない農民が労働力として使われ、農民には現金収入と
そこにいる間の食料、と一杯のビールが支給されたようです。
そして、恐らく神殿の役割も果たしていたのだろう、ということです。
最後の堤防とは、エジプトはナイル川の氾濫により上流から運ばれてくる、肥沃な土により土地が豊かになるそうです。
古代ローマ時代、ローマ帝国全土の小麦の三分の一を供給する穀倉地帯でした。
ただ、ナイル川の東側は硬い岩盤で川が氾濫しても、それ程問題は無かったそうですが、
西側は地盤がもろく、それを防ぐために建てられたものではないか?と考えた人がいます。
ちなみにピラミッドは有名な三大ピラミッドの他に数百だったかと思いますが、多数のピラミッドが存在します。
そのほとんどがナイル川の西側にあるそうです。
どうも優れた政治とは一石二鳥も三鳥にもなるようです。
日本でも武田信玄が作った信玄堤というものは神社を作り、そこに人がお参りに来ることで堤防が固まり、強固になったそうです。
江戸幕府もどこの川だか忘れましたが、川から離れたところに堤防を作り、その内側で農作物を作るのであれば、無税としたそうです。
人々は必死で畑を作ります。洪水が来そうになると力を合わせて、政府から見ると勝手に防ごうとします。
明治期に入り、西洋式の堤防が作られ、そういった政治が無くなってゆきました。
西洋式が良いのは分かるが、全部それってのは無いだろう。合ったやり方でやればいいんだよ。
と、言ったのは勝海舟です。
なんだかあらぬ方向に話が飛びました。
人の引用ばかりで申し訳ないのですが、コラージュのように継ぎ接ぎしてみました。
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